古都の感動・・・修学旅行の思い出



 ん十年ぶりで実現したとかいう復活第1回の修学旅行に、担当者、引率者として関われたのは光栄であった。生徒の状況もすこぶるよろしく、あえて実施した価値はあった、と言ってよいだろう。生徒にもレポートが課せられているし、私自身も久しぶりで京都・奈良に行って感じることはあったので、少し整理しておこうと思う。

【1、故事を偲ぶことの楽しさ】

 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代

 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

 みかの原わきて流れるいづみ川いつ見きとてか恋しかるらん

 これらは全て、朝自習で読んでもらった『百人一首』の中の歌である。私達が泊っていた旅館は、『方丈記』で読んだ安元の大火の出火地点のすぐ近くにあった。新京極を歩いていたら、突如、和泉式部の墓を見つけた。新京極など、今までに何回となく歩いているのに、どうして今まで気付かなかったのだろう・・・?すると勿論、最近授業で読んだばかりの『古今著聞集』の一節「大江山〜」が頭に浮かぶ。自主研修の日の午後、少し時間があったので、洛北、鷹峯の光悦寺へ行った。しばらく前に、中野孝次の『本阿弥行状記』を読んで以来、一度、本阿弥一族の菩提寺へ行ってみたいと思っていたのである。そこから広隆寺へ行く途中、仁和寺の門前を通った。思い出すのは、『徒然草』に繰り返し登場する仁和寺の僧の話である。過去を意識すると、何ということのないものまで深い情趣を持って見えてくる。9年ぶりで京都へ行って、つくづくそんなことを感じた。しかし、同時に、次のような出来事にも思い至った。

 約15年前、私は中国広州市にある華南師範大学という所で、60歳過ぎの日本人講師と四方山話をしていた。その中で、旅行の魅力ということに話及んだ時、私は「自然の美しさ、建物の立派さに感動するのは分かるが、昔ここで杜甫が詩を作ったというような、見えないことについての感動は理解できない」と言った。彼は「過ぎてしまったことに思いを馳せることにこそ、楽しみはある」と言った。私には、ようやく最近、彼の言葉が実感として分かる。だとすれば、諸君にそれがバカバカしいことに思われても仕方がない。それは、年齢の為せる技なのだ。

 諸君も、やがて故事を偲ぶことの楽しさを見出せるようになるだろう。

【2、『木に学べ』と法隆寺薬師寺

 私が、西岡常一氏の著書『木のいのち木のこころ』と出会ったのは、3年くらい前のことである。以来、改めて(=私は中学生の頃、一度行ったことがある)法隆寺に行ってみたいと思っていた。

 私がよく言うことだが、ぼんやり見ていて分かる物は、その程度の物でしかない。レベルの高いものは、見る側にもしっかりと学ぶことを要求する。『木のいのち木のこころ』と『木に学べ』を読んだとしても、知識としては僅かに過ぎないが、それでも、そのおかげで、以前に比べるとはるかに多くのものが私には見えた、と思う。ヤリガンナで削った丸柱の肌、薬師寺の塔の先端にある水煙の意匠等々・・・。

 法隆寺は本当に美しい。建築物というよりも、工芸品だと思った。しかし、本の中にあった話だが、小川三夫という人が、修学旅行でこの寺を見て宮大工を志したとなると、やはりスゴイ話だな、と思う。人間の人生など、どこで決まるか分かったものではない。しかも、彼は西岡氏の後を継いだというのみならず、日本の寺社建築の伝統がそれによって守られることになったと言っても過言ではないらしい。そんなことも、法隆寺の境内で思い出してしまった。

【3、旅は点ではない、線である】

 往復とも、車窓から富士山が見えなかったのは残念だった、という人は結構いると思う。一方、多くの人は新幹線の中で、寝ているか、トランプをしているか、というところだったようだ。

 私は、飛行機があまり好きではない。途中の風景がほとんど見えないからである。京都へ行くとなれば、京都にだけ見る価値があるとは思えない。多くの川を渡り、山を望み、海や湖を見、城や町並みを眺めることが出来る道中にも、同様の価値はあると思う。

 私は故郷が関西であるため、宮城と関西を新幹線や車で往復したのも30回を下らないだろうと思う。よって、さすがに、車窓の風景を細かに点検する気にはならず、読書に没頭していたが・・・。諸君が次回、関西方面に列車で出かける時には、ぜひ大井川や長良川伊吹山や富士山、浜名湖や琵琶湖をじっくりと見てみて欲しい。

【4、関西を感じる場所】

 国の内外を問わず、私が見物していて最も面白いと思うのは市場である。今回も私は、ほんの少しながら時間を見つけて錦町市場へ行った。目当ては明石海峡産の焼き穴子(宮城で買える穴子と全然違う。別種であろう)だった。しかし、いざ市場へ行くと、欲しい物、食べたい物が目につきすぎて困った。石巻における魚介類というようなものと違い、人間が手を加えた食べ物の豊かさにおいて、やはり関西はスゴイとしみじみ思った。関西と聞いて、お好み焼きとたこ焼きしか思い浮かばない人は気の毒だと思う。

 私は生まれと中学・高校が関西だったため、高校時代の友人に京都市内の大学に進んだ者もいて、何度か京都は訪ね、かなりの場所を回ったことがあった。修学旅行でも今回以前に2回訪ねたことがある。しかし、今回久しぶりで訪問して、今更ながらにいいと思った。ぜひ、改めて個人で訪ねたい場所である。諸君も、今回の訪問はあくまでもきっかけとして、いろいろと勉強しては訪ねてみて欲しい。いや、私がそんなことを言わなくとも、おそらくは諸君自身が今そんな気持ちを抱いていることだろうと思う。