スペイン強盗体験記



謹賀新年

 新しい年になった。特別、何か事故があった、病気になった、という連絡が入っていないので、みんな平穏無事で実り多いお正月を過ごしたものと思う。まずはめでたい。

 何のことはない。事故にあったのは私であった。ちょっとした故あって、今年はいつになく暇が取りやすかったものだから、年末年始をイベリア半島で過ごしていた。そして、スペインという国の首都・マドリードで、生まれて初めて強盗に襲われ、路上で失神するという失態を演じてしまったのである。

 バルセロナから鉄道でマドリードのアトーチャ駅に着き、宿を探そうと街を歩いていたら、突然、背後からもの凄い力で首を絞められた。「やられた!」と思い、「叫ばなくては!!」と思ったが、ピクリと動くことも、少しの声を発することも出来なかった。首を絞めているのとは別の男が、私の体をまさぐり始めた。ここから先は覚えていない。何とも気持ちよく、長い時間とろとろと眠りながら、実に沢山の夢を見たように思うが、どんな夢だったかは思い出せない。後にして思えば、時間も、せいぜい2〜3分のことだったと思う。気が付くと、路上で大の字になっており、周りに人垣が出来ていた。何人かの人が「警察(Policia)!警察!」と叫んで走り回っていた。

 完全に身ぐるみ剥がれて困った、と思ったが、すぐに、私が自分の荷物の上に寝ていることに気が付いた。左胸のポケットに手を当てると、パスポートに触れた。ゆっくり立ち上がると、ジャケットのポケットでお金の音がした。何も取られなかったんじゃないか?と驚いた。しかし、さすがにそうはいかなかった。一点豪華主義というか、腰に巻いていた現金12万円と帰国用の航空券、予備のクレジットカード2枚が消えていた。間もなく、サイレンを鳴らしてパトカーがやって来て、私は被害者として中央警察署(?)に連れて行かれた(ここには、盗難被害者用の待合室があって、多くの人が詰めかけ、番号札を手に順番を待っていた。びっくり!私はパトカーで行ったのでVIP待遇(?)。優先的に奥の別室で面倒を見てもらった)。

 マドリードという街が非常に危険であることは知っていた。自分なりに細心の注意をしていたつもりだった。今反省してみても、反省点が見つからないほどだ。それは完全にプロの技だった。「強盗」というより「狩り」と呼んだ方がいいほどだった。私は、恐怖や悔しさを忘れて感動すら覚えた。その後しばらくの間、次の瞬間にもまた強盗にやられるのではないか、という恐怖のような不安のようなものに苛まれながら、不思議と犯人に対して腹が立たず、憎しみを抱くこともなかったのは、そのような技への感動によっているだろう。

 妙な話だが、私は強盗そのもののことよりも、その後、一介の旅行者に過ぎない私に対して、非常に親切にしてくれた人々のことが忘れられない。私が襲われた場所のすぐ近くにあるレストランの従業員が、事件に気が付いて店を飛び出してきてくれたらしかった。だから私は、最少限の被害で済んだのだ。意識の戻った私を連れて店に入り、客を放っておいて「怪我はないか?」とか「お金なんか今後どうにでもなるから、とにかく体が無事で良かった」とか、口々に声をかけてくれた。私のスペイン語がでたらめであることに気付くと、どこからか中国人(!)を連れて来てくれた。警察の対応も、大変紳士的で親切だった。私が再びパトカーで現場に戻ると、近所の人々が出迎えて慰めてくれた。そして、それらの人々の底抜けの親切に接して、「人間っていいもんだなぁ」としみじみ感じてしまったのである。私が、日頃からよく言うことだが、この世で最も美しいのも醜いのも人間だ。

 実は、この少し前、バルセロナで私はある日本人と、「人間は果たして信じ得るか?」という議論をした。私はその時、こんなことを言った。「人間が現実に信じられるか、と聞かれれば、それは難しい問題だ。しかし、人間は信じられるという前提に立ち、信じようと努力しなければ、何も生まれてこないだろう。」事件当日の夜、私は自分自身のその言葉を繰り返し思い出した。そして、強盗に関して、私はどうすべきなのかを考えた(勿論、実際には何も出来ないのだが・・・)。

 仮に(あくまでも仮に)、翌日、私が強盗の犯人と街でばったりと会ったとする(私は犯人の顔を見ていないので、これはあり得ないことなのだが、まあ「仮に」だからね・・・)。その時、私が彼らを捕まえて警察に連れて行ったり、仕返しとして殴りつけたり、彼らのものを奪ったりしたら、彼らは反省するだろうか。いや、今後はそんなヘマをしないように頭を使うだけのような気がする。そして、そのような私の行為は、犯人に対する不信以外の何ものでもない。彼らが、自分たちの行為を反省することがあるとすれば、それは私に復讐された時ではなく、私が周りの人から親切にされているのをどこからかこっそり見ていたとか、犯人が何かで困っている時に、通りかかった人(出来れば私)が、それを犯人と知りつつ助けてあげたとか(笑)、そんな時のように思う。あれこれ空想していると、それが実際に起こる可能性のあることのように思われてきた。少なくとも、犯人の全てを否定し、復讐心に燃えることが不毛であることだけは確信できるのである。

 この世で最も美しいのも、最も醜いのも人間だ。人間が現実に信じられるか、と聞かれれば、それは難しい問題だ。しかし、人間は信じられるという前提に立ち、信じようと努力しなければ、何も生まれてこないだろう。諸君はどう思うだろうか?

 今年一年が良い年になりますように・・・。