卒業生のメールから



 1月13日、ある卒業生から、珍しく長いメールを受け取った。このメール自体、なかなか含蓄に富むものなので、一部を引用しよう。


 「2ヶ月間の休業、1ヶ月の入院生活は灰色ではありましたが、資格試験を受けたり、今まで読んでいなかった本を20冊ほど読んだり、ランニングやウェイトトレーニングをしたりと、それなりに充実した期間でもありました。

「創造の病」という言葉がありますが、身体的にせよ、精神的にせよ、病を経た人間にそれまでになかった新しい世界が開けるということがあるそうです。今回の休業で、新しい世界が開かれたのかどうかはよく判りませんが、これまでの自分の生活を振り返るよい機会になり、少し楽に生きることが出来るようになったかと思います。

高校時代に推薦してもらった阿部謹也の『自分の中に歴史を読む』という本がありましたよね。人生の短いフェーズの変わり目になると、いつもこの本を開いています。その時ごとに、強く感じる部分は違いますが、最近は「それをやらなければ生きていけないテーマを選ぶ」という言葉にいろいろと感じるところがあります。同じようなことがヒルティの『眠られぬ夜のために』にも書かれていました。人生において、不必要なものを除いていった後に、残ったもの、それが本当に自分に与えられた仕事、とかそんなようなことだった気がします。

今働いているこの職場、それを自分から除去したらどうか、今のところ、困りはしないのではないか。福祉の職を除いたらどうか。いや、もしかしたら他の業種をやっても困りはしないのではないか。では、「それをやらなければ生きていけないテーマ」とは何か。それは天職という意味なのでしょうが・・・。」

 私は驚いた。私は当時、阿部謹也の『歴史の中に自分を読む』を薦めたことがあったのか・・・?自分で薦めておいて、無責任な話、どうしても本の内容が思い出せない。私は慌てて書架を探した。あった。思わず夜更かしをして読んでしまった。

 なるほどいい本だ(笑)。これは日本を代表する西洋史学者が、西洋史という学問を志してから、どのようないきさつでテーマを見つけ、疑問にぶち当たり、考え、解決・納得を得ていったか、という自伝である。作者の悩みと紆余曲折が、人生の様々な場面で私達の悩みや問題意識と重なり合うものだから、折々繰り返し読むことに堪えるのだろう。良書は人生を深めてくれる。彼とこの本との関わりの中に、私はその典型を見る。かつての生徒に啓発される私(教員)は幸せである。


(後日談:上の翌週のプリントには、私の返信の一部を載せた。参考までに、続けて引用しておく。)

 「休業中も「灰色」とは言いつつ、したたかに勉強のチャンスとしたようで立派です。読書や資格試験を別にしても、病気の経験そのものが、新しい世界を開くきっかけになったというのは大切なことです。私も、この10年ほど肝臓に病気を抱えていますが、それが良かったとは言わないものの、それによって世の中が見えるようになった面があることは否定できません。命に別状がなくてこそ言えることですが・・・。

  私が、最近よく思い浮かべる本に内村鑑三の『後生への最大遺物』という本があります。岩波文庫で200円くらいの小著(講演記録)です。高校時代にある作家(森敦だったかな?)が、あるTV番組の中で推薦していたのを見て読んだものです。私達が後生の人のために何を残すことが出来るか、金か?本か?といったような話をした挙げ句、特別な能力を持たない者にでも残せる価値あるものは、誠実な人生である、とまとめられます(今手元にないので、表現には若干の違いがあるかも知れません)。実に他愛のない内容でがっかりしました。それが、年を取るに連れて、何とも重いものに思われてきたのです。日に日に、まさしくその通りだという思いがつのってきます。いや、その結論が正しいと言うよりは、その結論を正しいと考えなければ、自分自身の生きている意味(価値)が見出せなくなってしまうのです(もちろんこれは、自分の無能さの自覚の裏返しです。言うまでもないですね)。

  今の私にとって、「それがなければ生きていけないテーマ」とは、そういうものです。「それがなければ生きていけない」とは、「それがなければ自分の存在価値が認識できない」という意味でしょう。それは、何に、ではなく、どのようにという点にあります。つまり、テーマは、教育とか、福祉とか、事務とか、販売とかという分野の問題ではなく、どういう姿勢で自分の従事する仕事に取り組むかという点にあるのです。これは、「今の私にとって」ですが、このような視点もあるのだということを、思索の材料にしてもらえるといいかと思います。」