ワールドカップ雑感



 「何、大騒ぎするほどのものか・・・!」と鼻先で笑い、切符を手に入れようなどという気もなかった私であるが、いざ始まると、けっこう感心しながらテレビを見ている。日本vsトルコの直前など、インターネットで闇売りチケット探しまでしてしまった(最安値が1枚5万円で挫折)のだから、我ながら驚いてしまう。

 あの熱狂にはいささか斜に構えてしまうものの、技術的なレベルの高さには本当に驚く。素晴らしい。そんな私が、今回、今までになく感心しているのは、飛んできたボールを止める技術(トラッピング)である。

 日本では、このスポーツが輸入された時、「蹴球」という和名を付けた。なるほど、サッカーはまず「蹴る」ことが第一に見える。しかし、人の蹴ったボールが飛んできた時は、それを自分でコントロールできるように、一度止めなければならない。ここで些細なミスをすると、たちまちボールは相手に奪われるし、そうでなくても次のプレーにスムーズに流れていかない。よって、止める技術の重要性は、蹴る技術の重要性に何ら劣るものではない。この当たり前のことに、今回実につくづくと納得させられている。その意味で、「 football 」という英語、おそらくはその直訳であろう「足球」という中国語は、より一層合理的だ。

 正確に蹴ること、正確に止めること、この極めて基本的なプレーの完成度の高さなしには、組織的な戦術も成立しない。ワールドカップにおける一流のプレーは、一流の基本技によって支えられており(そのもの?)、しかも、「蹴る」という華やかな動作に隠れがちな「止める」という地味な動作の完成度に、実は一流と二流、或いは勝者と敗者の分かれ目があるのではないか?

 ワールドカップも、残すところ僅かに4試合になってしまった。サッカー優先の生活も出来ないが、多少なりとも楽しませてもらおう。

[余談1]

 soccerとはassociation(合同、交際、提携、連絡)の短縮形にerという語尾が付いたものである。無理に直訳すれば「連携するもの」とでもなるだろうか?オフサイドトラップなどの組織戦術を見ていると、なるほど、と思う。イギリスでは、上のような足技よりもこちらに重きがあった、ということか?

[余談2]

 最近「オフサイド」というルールがなぜ定められたのか、ということについて、興味深い話を読んだ。それは、点数をわざと入りにくくして、このスポーツを出来るだけ長い時間楽しめるようにした、ということだった(昔のサッカーは、時間制ではなく、1点入ったら終わり、だった)。勝負よりも「楽しむ」姿勢にこだわる姿が、私には快い。