ワールドカップ雑感 その2



 何年先、何ヶ月先、何日先と思っていたワールドカップも終わってしまった。終わってしまうと、あっけないほどに早かった。万事そんなものである。

 誤解されるのを覚悟で言えば、私はスポーツが嫌いだ。とは言っても、自分でするのは大好きだ。嫌いなのは「国家」や「学校」の看板を背負って行われるスポーツだ。ワールドカップはその典型である。自分の国に対する思い入れが強すぎるあまり、対戦国を否定、若しくは本気で敵視するかのような言動に時々接する。ゲームを契機として作り出されたこの対立に、私はとても危険な人間の姿を見る。

 思えば、スポーツはもともと国や学校のためにするものではない。スポーツをする個人が、自分の人生を豊かにするためにするのである。だから、国を挙げての熱狂の中で、中田英寿という常に冷静で、周囲に流されない賢い男が、日本代表としてプレーすることに違和感を抱き、この大会が終わったら日本代表のピッチには立たない、などと言い出すことが、私には理解できる(ような気がする)。

 先日、某新聞で、ワールドカップに熱狂する日本人を、外国人が奇異の目で見ているという記事を読んだ。熱狂は外国人も同様と思われるが、それによれば、日本人は日本以外の国についても、すぐに「応援する側」を決めて応援する、その国がその試合に勝てば、日本と対戦するかも知れないのに・・・。楽しむためのなかなかよい方法に思われるが、欧米人には、それが不思議なのだそうだ。

 こんな記事を読むと少し嬉しい。私は、戦前の日本史等を勉強しても、日本人というのは特に民族意識の強い、排他的になりやすい民族かと思っていた。しかし、その記事を読む限り、そうでもないのかな、と思う。そして、それならば、選手だけではなく、応援する多くの人々にとっても、みんなが仲良くなるためのきっかけとして、スポーツはいいものだ、と思う。