強さは何によって決まるのか?



 ワールドカップが終わってしまった。選手の誰かが言っていたが、4年後というのは気が遠くなるくらい遠い将来のような気がする。

 ところで、自慢ではないが、今年のワールドカップのベスト8に入ったチームで、私が行ったことのない国はなかった。そして自分の旅行体験を元につらつら思うのだが、一体強いチームというのはどのようにして出来るのであろうか・・・?多くの選手が、どっちみち祖国を離れてヨーロッパのチームで腕(足?)を磨いているとは言っても、そこに行き着くまではやはりその国の条件に影響を受けるはずである。簡単な考察をしてみよう。

 優れた才能が現れる確率というのが同じだとすれば、人口の多い国ほど有利だということになるのは分かりやすい話である。しかしながら、野球やサッカーにおける日本と韓国の関係を考えれば分かる通り、単純に人口比で強さが決まったりはしない。それが面倒なところでもあり、面白いところでもある。今年のベスト8で見てみれば、圧倒的に人口が少ないのはウルグアイパラグアイである。人口が百万単位の国はこの二つだけで、二つの国の中では人口の多いパラグアイですら、その次に人口の少ないオランダよりも1000万人少ない。次に経済力だが、南米から出た4ヶ国は、いずれも一人あたり国民総所得で考えて、圧倒的に他の国々よりも少ない。4ヶ国の内で、最も一人あたり国民総所得の多いウルグアイですら、その次に少ないスペインのたった5分の1である。これをどう見るかは難しい。金がある方が条件整備が出来るので強くなる、とも考えられるし、貧しい方がハングリー精神が強くなっていい、とも考えられる。

 若干の思い出話を書いておく。

 1989年の年初にウルグアイへ行った。猛暑のブエノスアイレス(アルゼンチン)から、エアコンが効きすぎてやたらと寒い夜行フェリーに乗り、セーターを着て震えながらラプラタ川の河口を斜めに横切って、早朝のモンテビデオウルグアイ)に着いた。たった1本の川を渡っただけなのに、半ズボンでは寒いほどの風が吹いていて驚いた。変ったのは気候だけではなかった。「南米のパリ」そのもののブエノスアイレスに対して、モンテビデオは活気も華やかさも無く、ひどくくすんで感じられた。静かで落ち着いている、とも言える。その昔、冷戦時代に、ウィーンからブダペストに行った時の印象ととてもよく似ている、と思った。

モンテビデオからアスンシオンパラグアイ)に飛んだ。ウルグアイに輪を掛けてどろ〜んと貧しく静かな国だった。ウルグアイに比べて暑く、ヨーロッパ臭がないためか、東南アジアを思い起こさせた。首都アスンシオンのど真ん中で、脱線した路面電車を、人々がよってたかってレールに戻そうとしていた。泊まっていた「内山田旅館」の近くにあった移民協会(だったかな? とにかく日系移民の多い国なのである)へ日本語の本を読みに行った時、知り合った現地の日系人は、「『トランキーロ(のどか)』以外に形容すべき言葉のない国」と言っていた。

 これら二つの国の印象を思い出すにつけても、それらの国でサッカーという闘争的なスポーツが盛んになる、まして国際的にも最強のチームが出来上がるというのが、私には信じられないのである。スポーツは人生と同様、「運」に左右される場合が少なくない。かといって、それらの国が「運」だけで勝ち上がったわけがない。

 というわけで、結局、それら弱小国がなぜ強いかは分からないのであるが、一つ教訓的に言えることがある。それは、このことを個人に当てはめた場合、どんな家庭環境に生まれ育っても、それだけで人生が決まるわけではない、ということだ。サッカーは人生の縮図である、と言う場合、それは、試合が人生の姿を象徴している、という意味だけではない。 チームが生まれてくる背景にも、人生を象徴する要素があるのではないか。ワールドカップの試合を見、チームの背景に思いを致しながらそんなことを考えていた。