部活動について考える



 個人面談の中で、「部活をやめようと思っている」と言う人が、立て続けに何人かいた。理由はそれぞれ。部内の人間関係であったり、勉強との両立、その他やりたいこととの兼ね合いであったり・・・。私とそのような話をしなくても、同様のことを考えていたり、既に幽霊部員化している人もいるようなので、ここらで部活動について私が思うことを明らかにしておきたい。

 部活動は、有意義な高校生活を送るための任意の活動の一つに過ぎない。自分の高校時代を有意義な、充実したいと最も切実に思っているのは、他ならぬ諸君自身であるはずだから、部活をやめるも続けるも諸君自身が考え、判断すればよいことである。

 以前話したと思うが、私自身が部活については劣等生である。中学時代はサッカー部で、それなりに楽しく熱中していたものの、中二の時にある大病を患って挫折。高校は生徒会が主で、他に天文部と鉄道研究会。天文部は同級生が10人もいる中、私が部長になったのに、生徒会が忙しくなったために幽霊化してしまったというお粗末。高校時代、運動部でなかったので、大学に入ったら体育会系運動部に入ろうと思っていて、準硬式野球部(高校にはないが、大学ではけっこうメジャー)に入ったが、あまりにも時間が取られて他のことが出来ないので、1年で挫折。全く自慢できる話がない。

 私としては、自分が部活をきっちりやっていたら、得られたものは大きかっただろう・・・と、後悔にも似た気持ちも抱く反面、部活がなかったから出来たこともたくさんあって、それで良かったと思うことも少なくない。つまり、部活をやったのとやらないのとで、得られるものの内容は違っても、量は等しいような気がするのだ。

 ところが、高校の教員になり、多くの生徒と部活との関わりを見るようになって、また少し違った思いを抱くようにもなっている。私の場合、部活をやっていなくても、勉強以外に熱中できる創造的な活動がいくらでも(正にいくらでも)あったからよいが、どうもそれは一般論にはなりにくいようだ、ということである。部活をしない、若しくはやめた生徒の多くは、時間をもてあます。その結果、残念ながら人間は楽で簡単で楽しいことを求める(「易きに流れる」)性質があるため、何となく遊んでいるだけで過ぎていき、勉強する時間も含めて、生活全体の緊張が失われていく、という結末を迎える人が多い。はっきり言えることは、勉強するために部活をやめた人で、成績がぐんぐん伸びたという人は記憶にない、ということだ。これは、1日5時間(放課後、就寝までに自由に使えるおよその時間)×2年9ヶ月(諸君の場合)、自分の精神力だけで自分をコントロールし、緊張感を保つ、更には高めていくということが、いかに難しいか、ということだろう。

 40人いれば40の個性があり、40通りの人生がある。部活を続けるか止めるかというよりも、自分の高校時代を充実したものにし、自分を高めるためにどのような時間の使い方をするか、という観点でじっくり考えてみて欲しい。