みんなで決める…部活動考2



 県総体、私は当然、登山競技の会場(船形山〜泉が岳)にいた。今年は、一高山岳部がメンバーの都合で出場できなかったため、私一人が役員として参加した。雨が降らなかったのは幸運だったが、高温多湿で、重い荷物を背負って長い山道を歩くには非常に困難な三日間だった。

 ところで、私は女子隊係として、県内5校(たったこれだけ!)の女子高校生達と、和気あいあい、仲良くおしゃべりしながら楽しい山歩きをした。その会話の中から、印象に残った話を一つ書いておこう。

 某女子高は3年生部員が10名いるそうだ。登山大会の1チームの定員は4名で、これ以外の生徒は学校で留守番となる。キャンプサイトの制約や、体調を崩した時の救助の難しさ(面倒さ)等から、見に行く、応援に行くというのも一切許されない。1校から2チームというのもナシだ。故に、例えば、野球でベンチ入りメンバーからはずれても、同じ球場にいて応援できるわけだから、登山でメンバーからはずれるのは、野球ではずれるよりも深刻な事態だと言える。

 以前、何かのきっかけで、諸君の質問に答えて、登山競技とは何かという話をした時、諸君が笑った通り、どうせ登山競技なんてたいした意味のあるものではない。従って、総体に出るも出ないもたいしたことではない、と思うが、それは私(達)の側の理屈である。そのために、2年余りトレーニングを積む高校生はいるのだし(登山競技を登山だと考えるからバカバカしいのであって、それを登山とはあまり関係のない一つのゲームと割り切れば、さほどおかしなことでもない)、その人達にとって総体で勝てるかどうか、いや、それ以前の問題として、出場できるかどうかは、甚だ深刻な問題なのである。

 そこで、その某女子高だが、10名の中からどうしても4名を選抜しなければならなくなった。普通なら監督=顧問がメンバー発表をするだろう。しかし、彼女たちは自分たちで話し合いをしたそうである。他の種目ほど実力を客観的に見定められないので、話し合いは困難を極めたらしい。3時間かかったということだった。気まずくなりかけると、登山とは関係のない話題へと流れ、また元の議論に戻り、最後にはみんなが泣き出し、それでも仲違いすることなくメンバー決定が出来たそうだ。

 私は、スポーツというものの価値を十分に認めつつ、一方で非常に嫌っている。それは、スポーツの世界では、監督やコーチに絶対服従という約束事があって、人間にとって非常に大切な「批判」という行為(これは行為というだけでなく、心の働きそのものだ)が封じられているように思われるからだ。そこから私は、「軍隊」だとか「ファシズム」だとかを連想する。実際、学生時代にスポーツに打ち込んだ人で、爽やかで協調性のある好人物でありながら、「上位者には絶対服従」という、私から見ると卑屈な思想の持ち主は少なくない。私はそれを、非常に危険なことだと思っている。

 某女子高は、残念ながら優勝できなかった。しかし、そのような雰囲気の部で、2年余りせっせと山登りに励んだことは、本当に豊かな彼女たちの財産だと思うし、中でも、総体メンバー選出のための3時間のミーティングは、彼女たちにとってこの上もなく重要な時間だったと思う。価値あることをするには、必ず大きなエネルギーが必要である。逆に言えば、大きなエネルギーを費やすことによってのみ、人は大切な価値を手に入れる。彼女たちは、優勝旗よりも遙かに大きな価値を手に入れたと思う。