ウォーターボーイズ…真似ぶから学ぶへ



 一昨日、すなわち土曜日の夜、テレビで映画『ウォーターボーイズ』を見た。これの影響で、一高水泳部のシンクロが始まったというのは有名な話なので、以前から一度見てみたいと思っていたのだが、レンタルビデオを借りに行くほどの意欲もなく、何となくそのままになっていた。

 私は、昨年一高に転勤してきたので、2002年の第1回は直接には見ていないが、放送部の作ったビデオで見たことがあった。ずいぶん感心はしたものの、今回映画を見て、なるほど演技から音楽まで完全なパクリだと分かった(笑)。・・・と書けば、いかにも「がっかりした」という文脈に見えてくるだろうが、必ずしもそうではない。私は「パクリ」だと分かったからこそ、昨年のオリジナル公演の意義を強く感じたのである。

 有名な話、「学ぶ」という言葉の語源は「真似ぶ」である。人は誰かのやっていることを一度はコピーし、それをアレンジすることによって独創的な、新しいものを作り出すことが出来る。そんな言葉の持つ意味を、映画を見ながらしみじみと思い浮かべていた。

 あまりにも有名になってしまった一高水泳部のシンクロは、今後一体どのような進化を遂げるのだろうか?大いに楽しみにしたいと思う。一方、学ぶ(真似ぶ)ことによって生み出されたものは、元々のオリジナルとは異なるとはいえ、オリジナルの枠組みから抜け出せた訳ではない。では、学ぶことによって何かを身に付けた人は、永遠にその枠から抜け出せないのかというと、決してそうではない。アレンジを繰り返しているうちに、「飛躍」と言うべき全く新しい独自のひらめきによって、新たなオリジナルが誕生するからこそ、人間は現在のように進化(変化?)してきたのである。水泳部に限らず、一高で、テレビや映画のような既成のものの影響を一切感じさせない、全く新しいオリジナルの誕生も目撃してみたいものである。