これも社会の厳しさ

 昨日までの3日間、県高校総体で山に行っていた。
 土曜日は七ツ森の鎌倉山周回の短いコースをパーティーごとに生徒だけで登り、バスで升沢に移動。森の学び舎(旧吉田小学校升沢分校)に泊まり、日曜日は、旗坂から蛇が岳、北泉が岳に登って、泉が岳スキー場に下りるロングコース。月曜日はカモシカコースを通って泉が岳に登る予定だったが、時間の都合で、カモシカコースの途中から下山となった。
 3日間ともほぼ快晴だったが、それを「最高の天気」と言ってよいとは限らない。うんざりするほど暑かった。参考までに仙台の最高気温を見てみると、土曜日が23.6℃、日曜日と月曜日はともに25℃を超えて夏日だったが、「え、その程度だったの?」というのが実感である。6月ということで、もともと日差しが強い。加えて、特に日曜日は風もなかったため、標高1400mを超える稜線でも汗が噴き出た。
 そして更に、驚くほどの虫!!領域によって種類は異なり、蚊であったりハエであったりアブであったり・・・、信じられないほどの虫がまとわりついてくる。いったい山全体では何億匹の虫類が飛んでいるのだろう?
 コース調査の時にはほぼ全面的に分厚い残雪に覆われていた瓶石沢源流、蛇が岳直下の通称「草原」は、たった3週間で雪がほとんどなくなっていた。恐るべし、太陽のエネルギー!それが雪を溶かすだけでなく、無数の虫類をも生んでいるのである。暑さも虫も日差しも不愉快ではあったが、そんなことを考えていると感動的でもある。
 ところで、塩釜高校山岳部の顧問である私は、今回生徒が不参加であったため、「派遣依頼」という紙をもらい、役員として単独で参加した。かつて書いたことがあると思うが、登山大会の運営係というのは正規メンバー以外の助っ人がとても多い。山中へのAEDの携行など、過剰な(←あくまでも私の価値観)安全対策が求められるため、大人の数は増える傾向にある。今回は出場生徒が73名だったのに対し、大人はなんと52人で、そのうち7人が定年を過ぎた「老人」であった。
 「老人クラブ」だと自虐的に自分たちを笑い飛ばしていた彼らであるが、本当に元気。私は3日間の日程に加え、仙台駅東口で解散した後に開かれた慰労会兼インターハイ出場校の激励会(通称「山おろし」)までフルコースで参加したが、最後の最後まで気勢を上げていたメンバーは、半数が「老人クラブ」であった。自然のエネルギーもすごいが、「老人」のエネルギーもすごい。
 そう言えば、イノシシに掘り返されてテントが張れなくなっていた森の学び舎の校庭(→こちら)は、その後3週間の間に見違えるほどきれいになっていた。聞けば、地元黒川高校の元顧問E先生がやって来て、せっせと整備をしてくれたのだそうだ。既に10年以上も前に定年退職された方だ。これまた驚くべきパワーであるが、パワーがあれば出来るというものではない。こうして若者の活動を支えたい、人の役に立ちたいという精神。生徒もそのことに思いを致し、感謝できるといいのだけれど・・・。
 「試合」としての結果は、多賀城高校が男女アベック優勝を果たした。女子は92点を超える高得点!
 私は女子隊を担当していたのだが、女子はもともと参加校が5校と少ない上、リタイアチームも2つあって、わずか3チームの戦いになった。私が見ていても、それら3校の実力は伯仲していた。他のスポーツと違い、登山は審査員長が結果を発表するまで、どこが勝つのか分からない。結果発表の後、優勝できなかったチームの生徒が泣いていた。「試合」としての登山大会を鼻から馬鹿にしている私としては(→もともと昨年の話)、「こんな大会の結果なんてどうでもいいじゃん」と言いたくなるところだが、彼女たちが泣けるというのは、一生懸命努力してきたからである。「試合」としての登山大会に価値があろうがなかろうが、その努力には努力としての価値があるし、負けても勝っても流す涙は美しい。
 とは言え、優勝校はインターハイに参加し、そのメンバーは一生「インターハイ選手」と呼ばれることになる。スポーツ推薦ではなくても、入試や採用試験で有利な扱いを受けることもあるだろう。一方、2位以下は、いかに僅差でも忘れられるし、特別扱いを受けることはないだろう。それを不条理と言うべきか、当然と言うべきか、私は知らない。負けた子どもたちの涙を見ながら、そんな社会の厳しさというか冷酷さに思いを致して、少し切ない気分になった。