山体力の低下と人の世の不思議

 今日になって、ようやく体が楽になった。・・・というのも、6月4〜6日、毎年6月第1週末恒例の「県総体登山競技」(→昨年の話。ただし、記事は3日間続く)というのに助っ人役員として行っていて、いつになくひどい筋肉痛を患ってしまったからである。
 コースは、南蔵王野営場から宮城県最高峰・屏風岳(1825m)に登り、一度ろうづめ平に下りてから後烏帽子岳(1681m)まで登り返し、えぼしスキー場の下まで下りるというものであった。野営場から屏風岳までの標高差は1100m、しかも、その後一度下ってから、200m近い登り返しがある。女子高生の足で10時間かかった。
 運動不足、いや、登山不足である。めでたく昨年度末をもって前任校の山岳部コーチを引退したこともあり、この3ヶ月以上、まったく山に行っていない。ほとんど毎日、片道7.5㎞の道を自転車で通っているとは言え、使う筋肉が全然違う。昔から分かっていることではあるが、山の体力は山でしか付かない。生徒の手前、バテてひっくり返るわけにもいかず、なんだかつらい大会だった。
 なにしろ大会なので、コースの途中に10ヶ所ほどフラッグ(オリエンテーリング用のポスト)が設置されている。審査員から与えられた地形図上に、その位置を書き込み、間違っていると1点減点、というわけだ。フラッグを見つけた時、立ち止まれないというのが大会特有の難しさである。とは言え、いつもなら、周囲の状況等から自分なりに場所を判断し、後から間違った書き込みのある生徒の地図をのぞき込んでは、「やっぱりお前らアホだなぁ!」などと笑い飛ばしているのに、今回くらい歩くことに余裕がないと、審査とは関係のない引率の身としては、いちいちフラッグの場所について思いを巡らせる気にならない。なるほど、山の中での活動というのは、全て体力があって心に余裕が持ててこそ成り立つものなのだ、と痛感したことであった。
 ところで、今年の3月半ば、教員の人事異動の発表も間近という時期に、高体連登山専門部から、今年の異動で登山専門部を去ることになるであろう先生の送別会をするぞ、という誘いのメールをもらった。仕事との関係で時間のやりくりができず、結局私は出席しなかったのだが、異動するであろう人たちの名前を聞いて、私がちょっとびっくりするほど、登山部顧問仲間のうちの中心的メンバーが、何人も登山部を去ることになりそうだった。
 そのメンバーの中には、結局、異動先の学校で登山部の顧問になり、今回の大会に参加した人もいたし、異動先での部活の受け持ちの関係で、私と同じように助っ人役員で来た人もいたけれど、やはり、事情が許さないために大会で姿を見なくなった人もいた。思えば、今年会えなくなった先生だけでなく、かつて宮城県の登山部顧問の中でも中心となって活躍していた先生で、今や姿を見なくなった人は何人もいる。
 一方、私は、登山部のある学校を離れて7年目にもなる上、以前から登山大会については否定的な態度をとり続け(→参考記事)、登山専門部常任委員会のメンバーではあったけれども、さほど重要な立ち回りをしたこともない。にもかかわらず、なぜか当たり前のように派遣依頼の文書が届き、当たり前のような顔をして大会の会場にいる。
 そんなことを思うと、なんとも言えず不思議な気分だ。私のようなへそ曲がりを受け入れ、誘ってくれる人たちの寛容さや温かさに感謝の念がわいてくるのも確かだし、さまざまな偶然的要素によって、いつまでも登山部の世界に残り続ける人間と、そうでない人がいる、いわば人間の運命についての感慨でもある。
 3日間とも、暑すぎず寒すぎず、ほどほどに雲もあって、いい天候に恵まれた。3日目、少しどんよりと曇った空の下で見る、新緑が一段落して濃さを増した山の緑は、本当に深く落ち着いた飽きの来ない美しさだった。