実用性と芸術性・・・地形図考(2)



 しかし、堀淳一氏は次のように言う。

 「地図は単に実用的なものであるだけでなく、その国民の文化的センスを総合的に、かつ端的に反映するもので、地図の芸術的な美しさ、あるいは美しくなさはその現れである。この意味で、最近の日本の地形図製作においてその芸術的側面がともすれば軽んじられる傾向がみられるのは、近年日本人がエコノミック・アニマルとよばれることの一つの反映ですらあるように思われて、残念なことである。」(『地図のたのしみ』)

 確かに、実用性と芸術性が矛盾するならともかく、そうでないとすれば、両立を目指すべきなのだ。美という抽象的なものに価値を見出せるかどうかは、人間らしさや豊かさの指標と言っても過言ではないだろう。これは、ひとえに地図だけの問題ではない。空中に電線を張り巡らして電気が通ったことを喜び、空が切り刻まれたことには無頓着、自動車が走っていることを喜び、騒音にも空気の汚れにも無頓着、歩道橋の設置にすら無頓着・・・機能と効率、そしてその延長上にある「金(かね)」こそが豊かさの証しであるという感覚は貧しい。

 さて、新しい2.5万図は、「おっ!!」と感嘆の声が出るほどではないが、まずまず美しい。全体の色調としては、20万分の1地勢図と少し似ているけれど、ぼかしの緑色が20万図よりもかなり淡いため、上品である。県道につけられた黄色が色としての明瞭性を欠き、効果的でないのは残念だが、40年あまり前に堀淳一にこき下ろされた日本の地図も、ようやくここまで来たのだな、との感慨を抱いた。スイスの地図に比べるとまだ色数が少なく単調で、いささかぼんやりとした紙面に見えるけれども、それは、質的な上下とは必ずしも言えない。急峻なスイスの岩山となだらかな日本の山の違いを反映しているようにも思えるからである。

 私が、この美しい2.5万図を初めて実用品として使ったのは、6月6日土曜日、県総体の1日目のことである。旗坂野営場から升沢自然歩道というハイキングコースを五宝橋まで抜けて、升沢山の学舎まで歩くというルートであった。総体(競技会)なので、途中にフラッグ(オリエンテーリング用のポスト)がぶら下げてあって、そこがどこなのか地形図上に記入して提出する、という審査がある。1日目のコースには2箇所、フラッグがぶら下げてあった。読図は多少腕に覚えのある私であるが、2箇所目が地形図上のどこに当たるか、皆目見当が付かなかった。悔しかった。

 森の学舎に着いてから、他の教員に尋ねてみると、彼は地形図を取り出し、場所を示してくれた。驚いたことに、私が持っている地形図とは登山道の位置がまったく違っていた。某顧問がGPSでたどった登山道の位置を書き込んだ地図が、事前に顧問会議で配られた。教員も生徒もその地図を持って大会に臨んでいたが、日雇い労働者のような形で、大会会場に直接馳せ参じた私は、その地図をもらっていなかったのである。2箇所目のフラッグは、その2.5万図と実際の道の位置が特に大きく異なっている箇所に付けられていたのである。

 大会では、全員が隊長の指示で動いているため、途中で勝手に立ち止まることができない。だから、周囲の状況と照らし合わせながら地図を批判的に見ることも難しい。私は、登山道の位置が地図と一致していないことに気付いてはいたが、どのように違っているのか確かめる余裕がなかった。しかも、フラッグのある場所だけは地形図上の道からはずれているわけがない(そんなことをしたら、選手が位置を特定できない)、変だ変だと思いながら、その原因を自分の非力に求めて悩んでいたのである。見せてもらった地図によれば、旗坂から船形山への登山道にも、ズレのあるところが少なくないらしい。

 空中写真で割り出される等高線や建築物と違って、そこに写らない山間の小径を書き込んだり、確かめたりする作業は大変であろう。しかし、今や素人がGPSを持って一歩きすれば、その場所を確定できるご時世である。地形図作成に費やされる膨大な時間を思えば、職員がGPSを持って整備された遊歩道や主要な登山ルートくらい実際に歩いてみても、そう大きな負担ではあるまい。これだけ大きく図面をモデルチェンジをする機会にこそ、それをするべきであった。地形図と実際のズレとを発見し、自ら修正するのも実力のうち、などと言って、地形図の杜撰さを許していいものではない。場合によっては命に関わる。

 地形図は、やはり第一に実用品である。美的価値を追求することは人間の特権であり、大切なことだ。しかし、実用的価値、すなわち正確で見やすいということを疎かにして美的価値を追求することには意味がない。飛行機や使いやすい道具が美しいのと同様、機能をとことん追求した結果として、美が実現するべきなのである。

 せっかくの美しい地形図も台なしであった。登山大会で、この美しい地形図を必須の個人装備として課す一方で、自分たちが作った修正地図を持ち歩かなければならないというのは、ほとんど質の悪いジョークであろう。まぁ、スイスを始めとする西欧諸国の地形図にこのような不正確がないとは限らないので、日本の地形図を悪く言うのはこれくらいにしておこうか・・・。(完)