実用性と芸術性・・・地形図考(1)



 今回、船形山に行くに当たって、久しぶりで2万5千分の1地形図(以下、2.5万図と略)を買った。市街地と違って、情報更新がさほど必要な場所でもないが、今まで使っていた平成14年12月発行のものが、だいぶくたびれてきたからである。図らずも、今年の4月に様式が一新されたものを買うことになった。2年ほど前から、新しい様式の2.5万図刊行が始まったことは知っていたが、実際にそれを買ったのは初めてである。

 世界測地系、多色刷りで、従来のものとまったく違う。隣の図郭と辺で接続しておらず、南北は各5センチ、東西は各約8センチの重複があるのも大きな特徴だ。多色刷りとは言っても、私が買った「升沢」では、茶色、黒、水色、緑、赤、黄の6色で、欄外の記号説明を見ても、高速道路の濃い緑が加わるだけのようなので、7色刷である。どこを基準に「多」とするかは分かりにくい。

 私は典型的な「ど近眼」なのであるが、原因ははっきりしている。地図と時刻表である(参考→山の自分史)。小学校中学年の頃から、四六時中それらと向き合っていた結果として、中学校時代までに視力が急低下した。そんな私に、地図との関係で大きな影響を与えたのは堀淳一氏(故人)である。地図を通して知らない世界を知る楽しみを知ったのは、ある程度自力だったと思うが、それを超えて、地図という物の面白さ、奥深さを教えてくれたのは、父の書架にあった氏の著作であった。日本の地図に対する氏の評価は厳しい。

 「おそらく世界最高の水準をゆくのではないかと思われる高度の印刷技術を誇るわが国の地図が、なぜ西欧諸国のそれに比べていちじるしく見劣りがするのか、不思議でならない。とくに、ほれぼれするほどのみごとな出来ばえのものが多いカラー写真と、がっかりするほど貧しい上に重ね刷りの精度の低い多色刷り印刷との対照にはまったく溜息が出てしまう。」(『地図を歩く』河出書房新社、1974年)

 これは、ちょうど私が地図に夢中になっていた時期の評価だ。当時、父の地図は1色刷り5万分の1地形図(5万図)が大半だった。既に5万図は多くが4色刷りのものになっていたが、2.5万図が5万図に代わって実用の主流になりつつあった。その2.5万図は水色と黒の2色刷りで、確かに芸術的な美しさはないが、非常に明瞭で機能的な地図であると私の目には見えた。多色刷りだった20万分の1地勢図にしても、私には決して「貧しい」「精度の低い」ものには見えなかった。もちろん、それは私が西欧諸国の地図を見たことがなかったことによっていたかも知れない。氏は、日本の地図をこき下ろす一方で、スイスの地図を絶賛する。

 「ヨーロッパの地形図で、何といっても一番すばらしく、芸術品といってもよいくらいなのは、スイスのそれであろう。その淡彩で上品な色調といい、人間わざとは思えないほど繊細でしかも明晰なコンター(等高線)や地類界の線といい、クッキリとした文字や道路記号の輪郭といい、全く文句のつけようのない完璧な技術と感覚であり、中でもアルプスの山の地形の表現は言語に絶するすばらしさである。変形地や氷河のクレバスなどの描写はいうまでもなく、等高線の色を場所に応じて変えているのにつなぎ目が少しも目立たないことや、クンセン(ぼかし)が緩傾斜地のわずかな傾斜の変化にまで心をくばりながらかけられていてニュアンスに富んでいることなど、まことに心にくい。一つ一つの線の屈曲や色彩の微妙な変化のすみずみにまで、スイス人の地図に対する愛情がきざみこまれているという感じがして、いつまでも眺めあきない。」(『地図のたのしみ』河出書房新社、1972年。( )による語注は私)

 中学校2年の時、すなわち1975年に、仙台の丸善で世界の地図フェアが開かれた時、この本を読んで以来憧れ続けていたスイスの地図を初めて見た。確かに美しいと思った。思わず、当時としては大金の870円を投じて、ツェルマットの5万図を買ってしまった。特に色調の美しさには舌を巻いて、日々眺め暮らし、今でも手元にある。一方、この地図を使って山に登ったことはないので、使いやすいかどうかは分からない。やはり地図は使うためのものであるはずだ。(続く)