ホントにいいんですか?

 5月22日に宮城県大崎市で開かれた「若者の声を聞く」という集会(SEALDsが絡んでいる)において、某県立高校教諭が発言を予定していたところ、2日前、県教育委員会に「教諭がこういう集会に出ていいのか」という問い合わせがあり、それを受けて、県の担当者が事前に注意を行ったらしい。私はこのことを、火曜日の新聞各紙(県内版)で知り、ぎょっとした。こんなことが事情聴取や注意の対象になるんだ!?
 さあ、いよいよ次は私かな?私はこのブログの記事にしても、どこかでの発言にしても、それが社会的に、もしくは教育公務員として許容範囲かどうかについて、相当気を遣っているつもりである。それでも、今までに、読者の方から批判や訂正の助言を受けたことが片手の指の数くらいはある。憤りや疑問を感じていながら黙っているという人は、その数倍以上いるだろう。炎上に至っていないのは、自分が気をつけているというだけでなく、こんなに字がべったりのブログは、衝動的、感覚的生き方をしている良識なき人の閲覧対象とはならないとか、読者が少なく目くじらを立てる価値がないとかいった事情に支えられてのことだろう。政権与党の意見と違えば「偏っている」とされかねない昨今の状況からすれば、監督者(教育委員会)からの指導・処分の対象となるような記事は、おそらくいくらでもある。
 だが、私がとりあえず萎縮しておらず、ある種開き直った態度でいるのは、実名で身分を明かして書いているこのブログを批判するということは、言論が匿名化することを奨励することになりますが、本当にそれでいいんですか?という問題提起の意識を常に持っているからである。
 教育公務員が身分と名前を明かして反政府的な集会に登場すれば、公務員の公正中立の印象を損ない、「信頼」を失わせる、という理屈がある。理屈の是非はともかく、その理屈に頭を下げ、身分を隠し、偽名を用いてネットで発信すれば、公務員に対する「信頼」は揺らがない。だが、身分を明かして偽名で書くことも可能で(最近、部活動問題で有名になったブロガー「真由子」なんてその類いだ)、そうなると、誰が書いているかは分からないが、公務員に対する「信頼」は傷つけられる。もっとも、そのサイトで公表されている身分が本当かどうか確かめることは至難だから、一般人が書いた「教育公務員」名義の無責任な発言が生まれる可能性も否定できない。どれを信じてよいか分からない、という混乱が起こるならまだ健全だが、信じてはいけないデタラメな情報や意見が一人歩きを始める可能性の方が高い。現に、そのような現象はたくさん発生しているだろう。
 つまり、集会ならともかく、ネット上での言論が非常に大きな力を持つ現在、取り締まりや監視を徹底させることは不可能なのであって、やればやるほど、主体は隠れてゆき、正体が不明になれば言論は無責任で激しく、それでいて空疎なものになっていく。だとすれば、集会であれ、ネットであれ、正々堂々と人前に正体を現して自説を述べる人には、それがどのような意見であったとしても、むしろ敬意を持って接し、尊重すべきなのである。そうしてこそ、言論は健全性を保ちうる。
 もちろん、権力者というのは、何が正しいか、どのようにすれば言論が健全化するかということはどうでもよくて、自分たちに刃向かう輩をつぶすことだけが重要なのだろうから、おそらくそんな考え方はしてくれないのであるが・・・。
 ついでに、言論というものについてもう一つ書いておくと、最近、教員が自分の意見を言っていいかどうか、ということがよく問題になる。これも困った話である。教員が自分の意見を一切表に出すことなく何かを語ったとしても、そんな言葉には血が通っておらず、血の通っていない言葉で教育が成り立つわけがないではないか、と思う。学校という場所は、工場で機械を使って何かを作るのとは訳が違う。教育を教科指導に限定することは難しい。教科指導から一歩枠を広げ、人間を育てるということになった場合、人間と人間がぶつかり合うことによってしか作用は生まれない。私がテキストについて、いかに合理的な読解の筋道を示し、内容を完璧に整理し、明快に語ったとしても、平居という個性が目の前にいて、怒ったり笑ったりしていたという一見他愛もないことの価値には、残念ながら絶対に勝てないのである。そんな挙措動作の一部に、政治的言論も含まれるというだけだ。
 もちろん、公正・公平への配慮と細心の注意を怠るわけにはいかないが、その配慮や注意に、「自説を隠す」は含まれるべきでない。などと書きながら、自分が何かしらの政治的意見を述べたとして、それに生徒が真剣に耳を傾け、影響を受けるという状態に憧れている自分に気が付く。授業中、ほとんどの生徒は私の話なんか聞いていない。感化されるどころか、「ヒライが面倒なことを何かしゃべっているぞ。りかいフノー!」と鼻で笑っておしまい・・・それが現実だからね。なんら心配には及ばない。