そういえば参院選があったなぁ・・・(2)

・勤務先での学校では、選挙のことなど話題にもならなかった。個人的に、授業の中で何かしらの「主権者教育」を試みた人はいたのかも知れないが、見えては来なかった。幸か不幸か、私は授業の大半が1年生である。週2時間、「選択現代文」という授業でだけ3年生と接する機会がある。しかし、選択者はたったの3人。全員がまだ17才だ。もっとも、彼らが既に18才になっていたとしたら、選挙には行こうね、という以上のことを語ったかと言えば、全く偶然、何か話のきっかけがあれば別だが、そうでなければおそらくNOだ。政治なんてまったく関係ない世界の話、と思っている若者に、政治を語るのは難しい。語って何かが起こるのは、あれこれと問題意識を持ち、悩んでいる人に対してだけである。ゼロの状態から、政治に対して問題意識を持つ所まで持って行くようなことは、それを積極的に主題として授業を展開することが許されるのでなければ、私にとって「芸当」のレベルである。
 これは、生徒だけの問題ではない。教員が既にあまりにも無色透明だ。政治家の不穏当な発言によって萎縮する以前の話として、特に若い教員は政治を完全に他人事と考えている。法治国家である以上は、何をするにしても必ず政治の壁にぶつかるはずなのに、避ければ避けられるものと認識し、意識してかしないでか、危険であるが故に避けようとする。最近、比較的意識の高い(と私が思っている)県内の教員数人と話をしていたら、某氏が、職場の若者で「公務員も投票していいんですか?」と言うのがいて喫驚した、と言っていた。さすがにそれは極端な例であろうが、例外だとまで言い切る勇気は持てない。教員でも選挙に行かない人間は多いだろう。彼らは力ある言葉で生徒に何かを語ることはできず、従って政治的な影響力も指導力も持たない。無色透明は拡散してゆく。
 これは、教育の成果か?平和ボケか?私はまず後者だろうと思う。教育において、いくら政治教育が行われなかったとしても、自我が確立していれば、何か変だぞという意識は生じるし、変な政治家が問題発言をすれば、萎縮する以前に反発を感じるはずである。それらがなく、いつも人のいい笑顔を浮かべながら、従順に仕事をしているのは、学校教育といったスケールの小さいことからは生まれてこない態度のように思われる。もっともっと構造的だ。
・一方で、教員に絶対変なこと(自分にとって不都合なこと)は言わせない、という政治的な力は問題にならないかというと、やはりそうではない。記憶に残ったのは二つの事例だ。
 一つは、5月22日に宮城県内の某高校教諭S先生が、大崎市で行われた「若者の声を聴き、未来を語り合う集い」という集会(主催は「あったか宮城・大崎」という実行委員会?連絡先は古川民主商工会)で、勤務校における生徒会の活動(政治活動とはとても言えないような、他愛もない校内での要求実現活動)について報告をしようとしたところ、それを事前に知った(←市民からの通報?らしい!)県教委のお役人が、わざわざ学校まで事情聴取にやって来て、注意(「言動には気をつけて下さいね」というような一般的注意)を促したという話だ。注意であって、禁止ではなかったため、腹の据わっているS先生は、予定通り集会に参加し、報告を行った。ところが、その後出勤すると、管理職から事情聴取をされた。結局、最後まで命令や処分は下らなかったものの、なんとも鬱陶しい話である。
 もう一つは、7月10日の毎日新聞で見付けた、自民党が党のホームページで、教育現場の「政治的中立性を逸脱するような不適切な事例」を募っているという記事だ。これは、S先生の話よりもはるかに深刻でいやらしい話だ。記事によれば、教員から「生徒からの密告を促すものだ」という批判の声が上がっているとのことで、それはごもっともだが、おそらくそんな批判は痛くも痒くもないことだろう。批判するほど真面目に考えている人間なんて、あまりにも少数で影響力に乏しい。自民党にとって、「政治的中立性を逸脱するような不適切な事例を募っている」ことを批判すること自体が、政治的中立性を逸脱している証明になるに違いない。質の極めて悪いジョークである。
 日頃、教育現場を「指導」しているはずの文科省や県教委が、細かいことに目を光らせ、これはダメ、あれもダメ、と言うのに、健全なる主権者を育てるためにこんなやり方をしてはどうですか?というような、積極的な提言はなぜしないのだろう?学習指導要領に従って教育活動をしていれば、自ずから健全な主権者は育つ、ということなのだろうか?
 平和ボケの中で、若者は批判の力も政治的問題意識も失っている。そこに政治家が追い打ちを掛ける。ただでさえも忙しいのに、繰り返しの事情聴取なんて真っ平ごめんだ、というのが教員の本音だろう。それを「萎縮」と言うのなら、私も萎縮はする。多忙も作戦の一つだ。文科省が教員の多忙解消のため、本気になれないわけである。


 一昨日は、午後から「企業合同面接会」というのに生徒を引率して行っていたため、帰宅が早かった。娘とさんざんキャッチボールをした後、散歩しながら日和山公園に行った。宮水の生徒6名に会った。これは非常に珍しい。が、彼らは「ポケモンGO」に興じていて、キャラクターを探しながら、日和山公園まで来てしまったらしい。
 マスコミが煽っているだけかも知れないが、「ポケモンGO」で世の中は上へ下への大騒ぎである。様々な事故やトラブルも起こっているようだ。本当にアホ臭いなぁ、と思う。ただのスマホゲームが、いかにも大問題であるかのように人々の心を占める。石油を膨大に燃やすことで生み出された豊かさと暇が、このようなことに浪費され、人間を内部から蝕んでいくのかと思うと、いたたまれない思いがする。早々に、マクドナルドが連携すると発表した。「飛びついた」と言った方が正しいだろう。もうかればいいのか?!
 少なくとも与党の政治家は、これは健全な文化国家の建設のためにマイナスだ、などとは絶対に言わない。お金が動き、愚民が増えることは、権力者にとって甚だ都合のいいことだからだ。世の中は、こうしてよってたかって悪い方向へと進んで行く。構造的な平和ボケ、教育現場を縛り、萎縮させ、自分たちの思いのままの人間を作ろうとする力、軽薄な文化とそれを支える力・・・これらの延長線上で、参院選は自然に理解できる。(終わり)