栃木県の雪崩事故

 先月27日、栃木県の茶臼岳で登山講習をしていた高校生7人と、顧問1人が雪崩に巻き込まれて死んだ事故は、私にとって他人事ではない。しかも、8人が死んだからには当然かも知れないが、例によって報道も大きく、手厳しい。
 今時、複数の学校が集まってテント泊で3日にわたって雪上訓練をしている、というのは驚きだ。「あっぱれ!!」と言ってよい。だが、高体連の行事ともなれば、生徒の側から「やりたい」という声が出て行われたのではなく、やることが当然のものとして計画され、顧問が「行くぞ」と言って生徒を連れて行ったのだろう。だからこそ責任が問われる。このこと自体は、結果の大きさを考えれば、仕方のないことだ、と思う。
 一方で、この事故によってまた学校の萎縮が進み、生徒に何もさせない方向に動くことは哀しい。
 今回の事故は、引率教員が安全配慮を怠ったから大きな問題になるのであって、やるべきことをやっていれば、事故は起こらず、従って問題にもならなかったはずだ。やるべきことをきちんとやればいいのだから、そこで萎縮する必要などないではないか、と言う人はいるだろう。だが、そういうものではない。結果が出た後だから「ああすればよかったのに」という話も出てくるわけだし、新聞で目にする批判には、「評論家」=「傍観者」的なものも少なくないからである。新聞の批判は、およそ以下の各点である。

1:地形的に危険な場所であった。
2:雪崩の危険性があると言って、スキー場が直前の5日間閉鎖されていたことを把握していなかった。
3:弱層テストを実施していなかった。
4:訓練実施の決断が科学的根拠ではなく、「経験則」に基づいて行われた。
5:ビーコン(居場所を知らせる電波発信機)を装備していなかった。
6:本部が無線を10分程度車に放置し、連絡が付かなかったために、救助作業が遅れた。
7:呼吸確保法など、雪崩に埋まった時の緊急措置について指導が不足していた。

 一つ一つについて、私の思うことを書いておこう。

1:現場を直接知らない人間にはとやかく言えない。新聞の写真を見ると、樹林帯で、傾斜もさほどきつく見えない。だが、専門家は危険な場所だと言っているという報道もあった。とにかく、現場に行かなければ分からない。
2:雪崩の危険性により閉鎖されている最中に強行したなら問題だが、直前にそういうことがあったことを知らなくても、問題になるとは思えない。逆に、知っていれば、閉鎖が解かれたことで「危険が去った」、と判断した可能性もある。
3:これは少し問題だろうが、一度「大丈夫だ」と思ってしまうと、弱層テストなど必要ない、と思ってしまうのだろう。弱層テストは不安だからやるのである。判断の前には、自分の意思と関係なく、一つの手続きとして必ずやるのだ、ということを規則化しないとダメだということだ。
4:「経験則」とか「直感」というものを馬鹿にしてはいけない。弱層テストは問題なかったが、なんとなく悪い予感がするから止めよう、というのはあり得ることなのである。逆の場合は・・・?やはり、その場にいなかった人間にはなんとも言えない。
5:ビーコンは1個5万円ほどする高価な機器である。それを高体連行事で人数分揃えることは不可能に近い。しかも、買って持っていればなんとかなるものではなく、機種による電波の出方の癖もあって、使い方の訓練をしなければ使うのが難しい。これを求めるのは酷だろう。もちろん、だったら雪崩なんか絶対に起こらない場所でやれよ、ということになるが、高体連は「絶対安全」との判断をしていた。問うべきはビーコンではなく、やはり実施の判断だ。
6:これは文句なしに高体連が悪い。ただし、顧問たちは携帯電話を持っていたらしい。現場から110番出来なかったのは変だ。麓にいる責任者を飛び越えて、自分たちの判断で110番することをためらったとしたら、「ほうれんそう(上位者に報告・連絡・相談を欠かすなという教え。今は、昔に比べるとはるかに強く、教育委員会によってこのことが指導される)」をすり込まれた学校現場の悲しさそのものだ。「ほうれんそう」は、個人の判断力、主体的思考力を失わせる。
7:雪崩に襲われるという想定がないのだから、講習もしないだろう。やはり根っこは、実施の判断だ。

 同じ教員として肩を持つ、というつもりはないが、やはり、現場にいなかった人間がものを言うことは非常に難しい。メディアを始めとして、あまり軽々しく批判しないで欲しいな、と思う。同時に、「絶対安全」を求めれば、学校は座学だけをしているのがよい。それはそれで批判の対象になった時、学校はいったいどうすればいいのだ?仙台一高のすばらしい厳冬期の井戸沢小屋ツアーも、これで終わりかな?教育者の良心と気概が問われる。