ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調

 宮城も今日で梅雨明け。この2日ほど、べっとりとした蒸し暑い日が続いていたが、今日は青空が広がり、湿度も下がって、気持ちのよい夏日になった。
 そういえば、昨日の夕方、家の下のお墓で息子とキャッチボールをしていると、南西の方角から、女声合唱が聞こえてきた。「がんばろう石巻」看板の前で、どこかから来た団体さんが、慰霊の歌声でも響かせているのだろうと思った。キャッチボール終了後、歌声が変わってきたので、何かイベントでもあるのかとのぞいてみたら、誰もいない。自転車で見に行った妻は、海岸まで行ったが何も見えなかった、高い防潮堤の向こうで何かしているようだ、と言う。
 今朝の河北新報を開けてびっくり仰天!「リボーン・アートフェスティバル」なるイベントが、今日から3日間、我が家から徒歩30分ほどの海岸地帯で行われるらしい。3日間でのべ39,000人の来場が見込まれている、と書かれているから、半端な規模ではない。後で、主催者であるAPバンクなる組織のHPを見てみたら、ミスチルやミーシャといった、私でも知っているようなバンドや歌手がやって来る。入場料が9000円することにも驚いた。これほど大規模なイベントが、近所に住んでいる人間にすら知らない状態で準備され、開催されることにもびっくり。近くに鉄道駅があるわけでもないのに、それだけの人の足が確保出来るというのにも驚きだ。これを書いている21時半近く、前夜祭の騒音がようやくおさまった。ミスチルは明日15時に登場らしい。それくらい聴かせてもらうか・・・。
 話は全く変わる。
 忙しくてブログの更新も出来なかったので、実質的に、仙台フィルの第300回定期演奏会を最後に、音楽を聴きに行ってもいない。かろうじて、車で移動の時に、CDで聴く程度だ。しかも、車を運転する機会が非常に少ないので、それもたいした時間ではない。
 先月から今月にかけて、なんとなく思い立って、ベートーヴェン弦楽四重奏曲を聴いていた。ムジークフェライン四重奏団による全集を通して聴き、東京クァルテットによる後期の6曲を聴き、スメタナ四重奏団による11番と14番を聴き、最後にバーンスタインウィーンフィルによる第14番の弦楽合奏版を聴いた。よく言われる話だが、ベートーヴェンという人は、ピアノソナタを書いた後で交響曲を書き、それが終わると弦楽四重奏曲を書いた。後期の四重奏曲は、作品番号が127から135で、有名な第9交響曲は125、最後のピアノソナタ群(「ハンマークラヴィーア」以降)は106から111なので、正に法則通りだ。自分の歳のせいかもしれないが、最晩年の弦楽四重奏曲を聴きたくなる瞬間が、最近、少しずつ増えてきた。
 今回、改めて認識したが、やはり私のお気に入りは第14番嬰ハ短調だ。私が初めて、この曲をいいと思ったのは、高校時代か大学時代、バーンスタイン弦楽合奏版をFMで聴いたときである。現在、我が家にある1977年録音のCDと同じ演奏であるかどうかは分からない。
 曲は珍しく静かなフーガで始まる。宗教的な祈りであるとも瞑想的であるとも聞こえる。その後、不完全なソナタ形式の第2部、たった11小節の経過句的な第3部、変奏曲になっている第4部、スケルツォの第5部、二部形式の第6部とかなり多彩で変化のある様々な曲が続き、最終第7部で力強く激しいリズムの主題を持つ古典的なソナタ形式が現れる。何とも破天荒な構造を持つ曲だ。40分近い演奏時間も、弦楽四重奏としては「大曲」の領域だ。
 私は、平穏な祈りの世界に身を置いて、魂の安らぎを得た作曲者が、その後、さまざまな夢を見、最後にふと我に返って決然と、自らの強い意志に従って生きることを改めて志す、というストーリーの曲と理解している。ベートーヴェンの晩年の境地、と言うよりは、むしろ老いてなお、自分の生き方の原点に立ち返ろうとしている一徹な人間の姿を突き付けられているような感じがする。ただの勝手な思い込みかも知れないが、そのメッセージ性の強さが、この曲の魅力である。
 弦楽四重奏団による演奏と、大オーケストラの弦楽部による演奏の違いは鮮やかだ。オーケストラ版では、コントラバスが入って五重奏にはなっているものの、原曲にほとんど手を加えずに演奏しているようであり、録音をスピーカーで聴けば、音量も変わらない。それでも、弦楽四重奏版よりもオーケストラ版の方が、間違いなく集合的で、一般的で、普遍的だ。弦楽四重奏版が、小さな部屋の中で4人が対話している私的な雰囲気を醸し出しているのに対して、オーケストラ版は、もっともっと公共的で普遍的なメッセージを伝えようとしているように聞こえるのである。
 とは言え、バーンスタインによる演奏はさほど優れたものには聞こえない。バーンスタインは私の大好きな指揮者だが、この曲に関しては、オーケストラの各楽器群の間に大きな空間があるような散漫さを少し感じてしまう。お気に入りはムジークフェラインによるものである。私はこの団体がこの曲を演奏するのを、ライブで2度聴いたことがある。ベートーヴェンのメッセージと、ウィーンの響き、弦楽四重奏の慎ましさといったものが、渾然一体に溶け合い響き合って心地よい。そしてやはり、たった4人でこれだけの世界を表現し得るということに感銘を受ける。と言えばありきたりな表現かも知れないが、感銘には平凡というものがない。