泥んこの自転車

 今日もすばらしい夏日だった。日中は30度近くまで上がり、日ざしも強かったが、湿度がさほど高くなく、海が真っ青に見えていた。例のフェスティバル会場からは、盛大な音楽が聞こえてくる。騒々しく迷惑だが、2日間だけだと思うから腹は立たない。15時から、ミスチルが登場。私でも、あっ、ミスチル始まった!とは分かったが、困ったことに、我が家の下の災害復旧工事の音がけっこううるさくて、じっくり耳を傾ける、というわけにはいかなかった。くだらない、不要の工事だと思っているから、こちらの方がよほど腹立たしい。

 さて、ラボ・トークの最初の準備会の時、すなわち5月下旬ではなかったかと思うが、私は会場であるカンケイマルラボに自転車で行った。Aさんが、私の自転車を見て、「平居さんの自転車、泥んこじゃないですか。今時、どこを走ればそんなになるんです?」と尋ねた。なるほど、私は自転車が泥んこであることをあまり意識していなかったが、確かに泥んこだし、最近自転車が泥んこになる場所なんて、捜す方が難しい。
 では、私がどこを走って自転車を泥んこにしたかと言えば、何のことはない、自宅から学校に行く途中、日和大橋の西のたもとである。震災によって橋が傾いたからなのか、車道と歩道を分ける縁石に穴が開けてあって、もともと、車道の水やゴミを歩道に流すつもりだったからなのか、歩道に泥の堆積がひどいのである。乾いていればかちんかちんになった轍に車輪が取られ、雨が降れば長靴がないと歩けない深いぬかるみを、やはり泥に車輪を取られながら必死になって突っ切らなければならない。加えて、草とも木ともつかぬ大きな植物が茂り、幅3mあまりのゆったりした作りになっている歩道が、実質的に1mほどになっている。いずれ市は整備してくれるだろう、と思いながら、数ヶ月以上が過ぎても、情況は悪くなるばかりでよくならない。
 Aさんに指摘されたことで、これはやはり異常だ、という思いがこみ上げてきた。同時に、車道に何かの問題があればすぐに修理するのに、歩道がどうなっていても無頓着という日本社会全体の現状に、むらむらと怒りが湧き起こってくる。6月上旬だったか、私はついに市役所に電話を掛けた。もちろん、怒鳴り込んだりしない。穏やかにお願いするのである。聞かれたからではあるが、どこの誰かも明らかにした。
 10日ほどしてから、歩道は一気に整備された。植物が刈られ、泥が撤去されたのである。2日ほど、歩道に小さなパワーショベルが止めてあったから、泥は重機の助けが必要なほど大量に溜まり固まっていた、ということだろう。
 道路点検は、通常、車で行うだろうから、市は歩道の泥に気が付けなかったのだ。だから私は、日和大橋を徒歩や自転車で渡る人が、泥田道に苦労していたことを市が気付けなかったのも仕方がない、それは決して歩行者を軽んじていたわけではない、と好意的に考えることにした。しかし、今回のことで、日和大橋の西たもとの歩道には構造的に泥が溜まりやすいと分かったわけだから、次は私が電話をしなくても、ほどほどの時期に、市は新たに溜まった泥の撤去をしてくれるだろう。私は、とりあえずそう信じている。市が本当にそうしてくれるかどうか・・・石巻が弱者を大切にし、健康で文化的な街作りをしようとしているかどうかが、そこで問われてくる。