ガーディナーは「クリオラ」

 週末に母の生活支援に行くということ、その際、やむを得ず車を使うので、のんびりと音楽を聴く貴重な時間になっていることは、少し前に書いた。
 キングズシンガーズの前の週、私は、ジョン・エリオット・ガーディナーによるバッハ「クリスマス・オラトリオ(クリオラ)」を聴いた。これは非常に快感。モンテヴェルディ合唱団、ザ・イングリッシュ・バロック・ソロイスツという超高性能な「楽器」が、ガーディナーのきびきびとした棒の下で、本当に生成躍動する音楽を作り出す。「クリオラ」という明るく楽しい音楽が、それにこの上もなくぴったりと調和する。「クリオラ」の演奏において、前にも後にもこれ以上のものがあるとはとても思えない。
 ガーディナーは、以前から好きな音楽家である。今年もう78歳にもなる。以前、ベートーヴェンの第9について私は、「フリッチャイガーディナーの演奏(録音)くらいがあれば、もう他はなくてもいい」とさえ書いたことがある(→こちら)。ベートーヴェン交響曲全集だけではない。バッハは特に「ヨハネ受難曲」!我が家にあるガーディナーの演奏には外れがない。一度その実演に接してみたいと思いつつ、田舎暮らしの哀しさで実現していない。
 「クリオラ」を2度繰り返して聴きながら、そう言えば、我が家のハイドンコレクションには、ガーディナーによる「四季」はあるけれども、「天地創造」がないことに気が付いた。私がハイドンの最高傑作と認める名曲だ。しかも、ハイドンらしいと言うべきか、ストーリーの問題と言うべきか、「天地創造」こそ生成躍動する超高性能楽器で演奏するにふさわしい曲ではないか。自分の迂闊を責めつつ、私はいそいそとガーディナーによる「天地創造」を買ってきた。
 一昨日の土曜日、その「天地創造」を聴いた。この曲に関する私の愛聴盤、バーンスタインバイエルン放送響+同合唱団の演奏が1時間57分で、ガーディナーが1時間39分。約20分も短いのだから、その速さの違いは一聴瞭然。もちろん一糸乱れぬ完璧なアンサンブルだ。単にオーケストラや合唱団の出す音に酔いしれるなら、これまたこれ以上の演奏があるとも思えない。しかし、音楽を聴くというのは、ダンスをするかのような身体的快感の追求とは限らない。
 私が「天地創造」で最も好きなのは、第1部の終曲、「天は神の栄光を表す」という合唱曲だ。これがガーディナーにかかると、とてつもなく速くてシャープだ。だが、私はもっと悠然、滔々たる大合唱を聴きたいと思う。結局、感銘を受けるという点において、私はガーディナー盤よりもバーンスタイン盤の方がいい。音楽の内容などあまり真面目に考えず、身体的快感を追い求めるというだけなら、本当に感動的なのだけれど・・・。
 勢い余って、久しぶりで「四季」も聴いてみたけれど、こちらは決して優れた作品には思えない。ガーディナー+超高性能楽器による完璧な演奏で聴いても、つまらない曲はつまらないのである。今のところ、やはりガーディナーは「クリオラ」だ。