歩いてみたい歴史の道

 昨日まで3日間、登山の新人大会に行っていた。場所は、なんと月山(山形県、1984m)!おそらく、宮城県高体連登山専門部主催の大会としては、史上初の県外開催である。何しろ数年前の噴火兆候騒ぎ以来、お膝元である蔵王連峰が使いにくい。いつも使っていた宿の閉鎖などもあって、顧問の宿泊施設も確保が難しい。よくよく考えてみると、高速道路のおかげで月山までは1時間半。宮城県内である栗駒山や鬼首とさほど変わらない。加えて、今夏は南東北三県インターハイで、登山競技の会場が月山と山形蔵王であった。私は行かなかったけれども、宮城の顧問も何人(十何人?)かが動員され、大会エリアについては情報量がかなり豊富だ。ならば使ってみよう・・・ということになっての開催であった。
 大会の中心となる土曜日は、中途半端で少し間の抜けた感じだが、宿泊地である弓張平から旧道を通って牛首下分岐(1523m)まで登り、そこから姥沢に引き返してネイチャーセンターに下る、という予定であった。弓張平発着というこのルートだと、どうしても山頂まで登るのは不可能なのだ。予想されたとおり、当日は雨。姥沢から少し登って樹林帯を抜けると、それなりの吹き降りで、気温も低く、厳しいコンディションになった。これなら、当初の予定が山頂までだったとしても、牛首下分岐引き返しになっただろうな、と思った。諦めが付いた。
 歩けば泥んこだし、濡れたテントを張ったりたたんだりは不愉快で、生徒諸君にとってはつらい大会となっただろうが、雨に煙るブナ林はなんとも落ち着いて美しい。1300mくらいから上は紅葉が盛り。特に草紅葉はきれい!濡れた登山道がつるつる滑る不愉快はあったものの、私はそれなりに楽しかった。
 弓張平から志津までは、旧六十里越街道を歩いた。山形と庄内を行き来するために整備された歴史的な古道である。一説に、1200年前に開かれたという。整備されたとは言っても、車が通るなどという想定はされておらず、幅は普通の登山道と同じ。石畳の敷いてある場所も多い。登山靴で濡れた石畳を歩くとつるつる滑って不都合だが、昔の人はわらじ履きだったから問題なかったのだろう。あちらこちらに苔むした石碑や常夜灯(石灯篭)、祠や小屋の跡などがあって往時を偲ぶことが出来る。山の中にぽつんと常夜灯が建っているのなどを見ると、江戸時代以前の夜の漆黒の闇が想像されて凄みを感じる。トレッキングコースとして整備されていて、あちらこちらに立てられた説明看板を読むのも楽しい。
 登山地図を見てみると、この街道は多層民家で有名な田麦俣地区などを通り、鶴岡市の松根地区(山形自動車道・庄内あさひICの近く)まで続いている。全区間が保存・整備されていて、現在も歩くことが出来るようだ。登山地図のコースタイムによると、石巻発で考えた場合、端から端まで歩ききるには、どうしても2泊3日が必要なようである(あさひ村観光協会のHPでも、フルコースで15時間くらいを想定している)。天気もよくないと嫌だし、なかなかそれだけの時間を取るのは容易でないが、一度、のんびりと歩いてみたいものだな。
 現在、山形県自然博物館(ネイチャーセンター)が建つ玄海広場は、その昔、石跳川(いしっぱねがわ)沿いに装束場を経て湯殿山に登る道と、姥沢を経て月山に登る道の出発点として、大きな祈祷所と小屋のあった場所である。ここに残る石碑や常夜灯も風格のある物で、昔の人の人知を超えるものに対する敬虔な思いが、今もこの地域の空気全体に漂っているようだ。これまた、ここを起点として湯殿山へと信仰の道をたどりたくなった。

 残念ながら、我が塩釜高校生は不参加。8月末に案内が届いた時、勝とうなんて思う必要ないから、交流会として出ようよ、とさんざん誘ったが、6月の県総体で登山競技のつまらなさが身に染みたと見え、頑として首を縦に振らなかった。無理強いするようなことでもないので、仕方なく、私だけが役員として参加した。
 大会は典型的な団体行動なので、窮屈で面倒くさく、勝負にこだわる気のない生徒とすれば出たくないのはよく分かる。今回は山形よりも宮城の方が降ったみたいだし、雨音を聞きながら、やっぱり行かなくてよかったと心の中で快哉を叫んでいたことだろう。運の問題でもあるが、自らを貫いた彼らの姿勢が吉を呼んだ、とも言える。私の胸中少し複雑。