山でそば打ちを習う



 この3日間は、県総体であった。私は、山岳部のない水産高校で、書道愛好会の副顧問という地位にあるのだが、異動して3年目となる今年も登山競技に役員(女子隊係)としてお招きいただき、参加していた。

 仙台や石巻にいると信じられないだろうが、山は3日間ともカンカン照り。真っ赤に日焼けして帰ってきた。特に、行動のメインとなる昨日は、天気予報でもさほど天気がよくない旨伝えられていた。確かに、朝目覚めると、うっそうと霧が立ちこめ、今にも雨が落ちてきそうな雰囲気であった。ところが、登っているうちに、なんとなく明るさが増してきたと思ったら、1300mを越えた辺りで雲の上に出た。水引入道からは、快晴の下に例年より豊かな残雪を残す南屏風岳と不忘山、東は雲海という絶景が広がっていた。以後、女子高生と青空の下の楽しい山歩きである。歩くと汗もかくが、からりと乾いた風がそよそよと吹き、休憩時には甚だ快適。登山をするよりも、芝草平あたりの木道で昼寝でもしていた方がいいような条件だった。私の大好きな花・ミネザクラも沢山咲いていた。もっとも、6月の太陽、残雪、雲海の三乗効果で、紫外線量は半端ではなかっただろう。その結果が、「真っ赤っか」である。

 ところで、部活は大嫌い、登山の「競技」なんてケシカラン、という私が、電話一本でのこのこ出掛けていくのは、他の顧問諸氏と語り合うのが楽しいからである。登山(山岳部)は、行事(大会のみならず研修会の類も)となれば、必ず全員で一カ所に泊まり、生徒と行動の全てを共にしなければならない。しかも登山の本質と競技が相容れないために、勝負へのこだわりが希薄で、顧問にも大学までで登山を専門にやってきた人が少ないものだから、実績に基づく変な序列や縄張り意識もない。私のような仕事だかボランティアだか分からないような「助っ人」もいれば、既に退職した顧問OBや、大学生を中心とする部員OBも補助員として馳せ参じる。それらのメンバーが、24時間、顔をつきあわせながら、和気あいあいと過ごすのである。こんな特殊な部活は他に存在しない。

 引率組(顧問+OB・OG)の初日の泊まりは、南蔵王青少年野営場のキャンプセンターであった。大きな集会所のような建物で、そこに適当に寝袋を広げて雑魚寝である。食事は弁当を取る。いつも、「総務」か「設営」という係の先生が、豚汁の類を作ってくれる。ところが、今回は、S先生が趣味のそば打ち道具を持ってきて、そば打ちをしているではないか!まるでプロ。たいしたものだなあ、と感心しながら見ていたが、そのうち、私の「やってみたい」病がむらむらと沸き起こってきた。S先生にお願いすると、快く許可が出た。

 私は、自宅で「粉係」ということになっていて、パンと餃子の皮はけっこう頻繁に作る。ところが、かつてどこかで手に入れてきたマニュアルに従ってそば打ちに挑戦した時は、あまり上手くいかず、以後、面倒なので止めてしまっていた。

 結局、私は、S先生に手取り足取りご指導いただきながら、20人分のそばを打った。我ながらよくできたと思う。茹で上がったそばを見ても、S先生によるものなのか、私のものなのかは見分けがつかないほどであった。やはり活字を通して技を身に付けようとすることには無理があった。技というのは、それを既に身に付けている人に教えてもらうに限る。

 山菜やきのこをお土産に帰宅するということはよくあるが、そば打ちの技を手土産に山から下りるというのは珍事である。S先生のようなプロ並みの道具が無くても出来るものなのかどうかは分からない。暇な週末に復習をして、自分の技にしようと思う。