T君の来訪・・・人の縁の面白さ



 週末、私としては珍しく、仕事のみならず、プライベートでも一切予定のない、のんびりした2日間を過ごすことになっていた。もちろん、「なっていた」と書いたことからお分かりの通り、それは先週の木曜日までの見通しであって、結局、訪問客が二件3人あって、にぎやかな休日となった。

 その内の一人はT君と言い、現在は東京在住。会うのは約15年ぶりという珍客であった。先日、私が大学時代に留年をして、落とした単位の都合で空白の半年が生じ、中近東〜ヨーロッパをうろうろしていた話をほんの少しした。その時、イランの首都テヘランの安宿で出会い、お互いの利害が一致したため、それから一ヶ月と一週間、イスラエルテル・アビブまで一緒に旅行したのがT君であった。その後はあまり親密な付き合いがあった訳ではないが、音信不通になることもなく、細々と年賀状等、何かの折に葉書を書く程度の関係を続けてきた。そんなT君が、突然連絡を寄越し、石巻にひょっこり現れたのである。日本で会うのは、多分4回目だ。

 私は「思い出話」を好む人間にはなりたくない、と日頃から思っている。それは発展的でないからだ。思い出に浸ることは、往々にして現実からの逃避だと思う。よって、私は卒業生が訪ねて来ても、今の仕事の話や学問の話をしていることが多い。幸い、T君も思い出話をするために訪ねて来たのではないようだった。おかげで、今の仕事や最近の旅行の話、それに二人で旅行した時の思い出話を適度に織り交ぜながら、けっこう楽しく時を過ごした。

 思い出話をしながら、ひとつ面白いことに気がついた。それは、二人が共通して印象深く憶えていることの多く、いや、ほとんど全てが、どんな珍しい文物でもなく、旅先で出会った人に関することだった、ということである。たいていは数分、長くても数時間しか関わっていない、言葉のよく通じない人達が、どうしてこんなに強い印象を残したのだろうか、と、我ながらいぶかしく思うほどだった。と同時に、「私」という人間が、日頃全く思い出すこともないあまりにも多くの人の影響、人間関係によって出来上がっているのだということを改めて意識し、何とも言えない感動を覚えた。