もらえる分だけもらう(山形東高校の教訓)



 考査の最中、「校内教員研修会」というものが開かれた。講師は山形東高校の先生。例によって(?)受験至上主義者になれない(現在の)一高教員にあるまじき私はしぶしぶ出席したのだが、これがなかなか面白かった(「食わず嫌いは止めましょう」が教訓)。少し大げさかも知れないが、「人間のあるべき生き方」が語られたような所があって、諸君にとってもいささか参考になると思うので、一部を紹介しておく。なお、言うまでもなく、山東は東北六県で1〜2を争う有名な成績優秀校である。


 山東を含む学区の人口は40〜50万人で、定員は240人。仙台もしくは一高に比べて選抜が厳しくない中、それなりによく勉強し、良い成績を収めるのは、田舎の村落社会で、生徒がいわば部落代表のような形で入学してくることに一つの原因がある(つまり、成績が自分一人のものではない)、ということだ。

 学校が「国家の運命」を負う人材の養成を使命とする以上、目標は東大、京大でなければならない。平成11年の東大現役合格者15名について考えてみると、以下のようなことが言える。

1:ずば抜けた天才的能力の持ち主ではなく、ごく普通の生徒が合格した(要は能力よりも3年間の地道な努力)。

2:授業を受ける姿勢に迫力のある生徒が多かった。

3:全員、相当レベルの高い問題まで、自分の力でやり抜こうとした生徒だった。すぐ教師に答えを聞きたがるような安易な勉強をした子はいない。

4:様々な見方、考え方について目を輝かせている生徒だった。棒暗記ではなく、自分の頭の中で既習事項を再構成していこうとする柔軟な、広がりのある勉強が出来ていた。

5:総合力で力があった。目先の受験教科のみに気を取られ、受験に関係のない教科は切り捨て、勉強時間をかけないで要領の良さを求め、効率よく得点しようという省エネ型の勉強方法をとった生徒は一人もいなかった。

6:豊富な読書量に基づいて、じっくりと思索し、思考力を練り上げていった生徒が合格した。

7:精神的にタフな生徒が多かった(目標を絶対に下げない、一回一回の試験の結果に振り回されない=動揺しない)。

8:部活をしっかりやっていた生徒が大半である。

9:自分に厳しく、徹底して納得のいくまで追求していく、いい意味での完璧性を飽くことなく追求していた(妥協のない学習態度)。

10:丹念に誠実に勉強すること。


 こうして言葉だけ聞いていると、あまりにもストイックすぎて息が詰まりそうだが、言っていることそのものは非常に理に適っていて立派である。こんなこと出来るわけない、自分とは関係のない世界だ、と開き直るのではなく、幾分かでも自分のものとして実践できれば、その程度に応じて報われるのではないだろうか。そしてそれは、必ずしも受験勉強である必要もない。いろいろな分野で、一流にたどり着くための方法は同様であるはずだから・・・。