自然災害より戦争



謹賀新年

 日本漢字能力検定協会なる所が毎年末に発表する「今年を表す字」として昨年選ばれたのは、「災」であり、12月の半ばに、清水寺貫首たる高僧がこの字を大書する恒例の姿が、新聞その他で見られた。思えば、西日本や新潟での豪雨、洪水、大地震など、なるほど災害の多い一年であった、などと見ていたところ、間もなく、とどめの一発、例の大津波である。既に発生から10日にもなるが、いまだに被害の全貌は明らかにならず、死者数も予測値が10万をはるかに超えて毎日増え続けている。今後の二次的被害(伝染病等)まで含めると、果たしてどれほどになるのか、正に空前の自然災害である。

 しかし、批判を覚悟で言うなら、これは仕方のないことだと思う。確かに、被害がこれほど大きくなった背後には、インド洋沿岸諸国の貧しさと、それに伴う防災施設の不備という社会的要因があるとは思うが、聞くところによれば、今回被害を受けた場所は、かつて津波の経験が無かったということである。インド洋に先進国があったとしても、津波に備えてどれほどの大金を投じただろうか?そして何よりも、自然の力はすさまじく、人間は小さな、弱い生き物なのだ。人間が知恵を絞れば自然に勝てるなどとは思ってはいけない。被害にあった人々はとても気の毒だし、私自身も被害者にはなりたくないが、仮に私が被害者となった場合、これはあきらめの付くこと、若しくは、あきらめなければならないこととして納得できるのではあるまいか?

 そんなことを考えつつ、対比的に思い浮かべるのは、イラクパレスチナスーダンなどで続く戦争である。これはたまらん。戦争は全て人為的なものであり、やらずに済まない戦争があるとは思えない。しかもたいていの場合、戦争は力を持っている者エゴで始まり、最も弱い立場の者が犠牲になる。新年早々、イラクパレスチナで何々があり、何人死んだという報道に接するにつけても、このようなことによって不幸になる人をいかに無に近づけることが出来るかという所に、人間の力は問われている、と思う。

 今年はよい年になりますように。