セクハラ研修会



 先週の木曜日、某弁護士を招いて、職員のための「セクハラ研修会」なるものが開催された。最近、セクハラに関し、学校の先生が処分される事件も何件か起き、社会のひんしゅくを買っているので、何か対策を取らねば、ということらしい。例によって不真面目な私は、忙しいのに、一部の人のやったことでとんだとばっちりだ、などとブツブツ言いながら会議室へ行った(こういう文句を言う人ほど、自分の問題が見えていない人であるため、不祥事を起こしやすい、という一般法則もあるらしい。注意、注意)。

 セクハラに関するありふれた話が一時間近く続き、やっと終わりだ、と思った頃、講師が「まだあと5分ありますから、オマケのお話しをしましょう」と言い出した時には、私のうんざりは頂点に達したが、セクハラとは何の関係もないこの最後の5分こそが、非常に衝撃的で勉強になった。

 それによれば、「オレオレ詐欺」等、人から金をだまし取るという犯罪が多いことは周知の通りだが、最近、新手のやり方が登場している。それは、簡易裁判所に「金を貸したが返してくれない」という訴えを起こし、裁判所に支払い命令を出してもらう、というものだ。何の根拠もない架空の訴えに基づき、裁判所が支払い命令を出すなどあり得ないように思うが、20万円以下(?)だかの小さな訴えについては、とりあえず命令を出してくれるのだそうだ。そして、支払い命令を受けた人が二週間以内に「私はそんな借金はしていません」と裁判所に申し立てをしない限り、その支払い命令は本物の命令となり、最終的には、強制執行をされても文句が言えない状態に陥ってしまう。ムチャクチャである。

 オレオレ詐欺といい、相次ぐ偽札・偽造硬貨事件といい、この裁判所まで巻き込んだ詐欺といい、世の中には悪いやつがいっぱいいるものである。思うに、問題点は二つ。その1、楽をして金を手に入れようという発想そのものが間違い。「文化の質は掛けた手間暇に比例する」というのと同じで、苦労の代価として金は手に入るのだし。それは、自分がどれだけ社会のために貢献したかということであり、そこに喜びも充実もあるのだ。その2、自分のやったことによって、やられた相手がどうなるか全く考えていない。全くの自分勝手だ。論語に言う「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」は実に優れた、窮極の道徳で、この点で道徳とは想像力のことである。セクハラも結局同じ事。更には、道徳などという面倒なことだけでもないようだ。今私達がしているあらゆることが、将来、どこへどのように影響を及ぼしていくのか、それを意識していることは常に必要だろう。