次の選挙で問うべきこと



 首相がたいしたことを言ったわけでもないのに、衆議院の解散が既に決まったかのように、具体的で断定的な報道・発言が多く聞こえてくる。選挙なんてやれば、とんでもないお金がかかるのだから、余程のことがなければ解散などすべきでない。余程のこととは、私に言わせれば、集団的自衛権に関する憲法解釈の見直しであったり、特定秘密保護法だったりするのだが、民主主義の根底に関わるような大問題には、国民の信を問うこともなくさらりと対応し、消費税を10%にするかどうか、といういわば技術的であり、深刻な内容を含まないことでは信を問おうと言う。この辺の感覚は、私の理解に余る。

 話は変わるようだが、「オレオレ詐欺」というものがある。正式には「振り込め詐欺」と言うらしいが、もともと「俺、俺・・・」と子や孫を装って慌てたように電話を掛けてくるからそう呼ばれるようになった。最近は、手口が非常に巧妙化している上、「架空請求詐欺」「融資保証金詐欺」「還付金等詐欺」など、いろいろな新手の詐欺事件が起こっているらしい。テレビなどでそんなニュースを見ていると、「頭いいなぁ〜」と感心してしまう。一方、そんないい頭を持っているなら、人をだまして不幸にするのではなく、もう少しまともな方法で金を稼ぐか、人を幸せにする方法でも考えろよ、と言いたくなる。

 自民党のやっていることを見ていると、しばしば、よく似たような感慨を抱く。今回の解散の話もそうだ。消費税が上がることを歓迎している人はあまりいない。せいぜい、やむを得ないと認めているだけだ。予定に反して10%への引き上げを保留すると言えば、とりあえず目先の苦から逃れたい人や、消費税という手段そのものに批判的な人(→私の消費税に対する考え方。ただし、いくら消費税に批判的でも、私は自民党にだまされたりしない)の歓心を買い、今より更に議席を増やすこともあり得る。そうなれば、安倍政権がこの間やってきたこと、すなわち特定秘密保護法集団的自衛権原発の再稼働などまで、一括して信任されたと主張することが不可能ではない。仮に負けた場合、それでも今より議席を減らすだけで、自民党が政権を失うような負け方はしないだろうから、8%据え置きは民意を得たことになり、それで社会保障費が捻出できないとか、国債の発行額を抑えられないという場合でも、自民党の責任である以上に、民意であると主張できる。今の野党が、仮に与党だったとしても、景気動向を見ながら8%に据え置きという策は提案される可能性があるわけで、自民党だけが据え置きを主張しているのではないにもかかわらず、それが自民党独自の主張のように錯覚する人は多いだろう。だから、消費税の10%引き上げ保留を宣言して解散・総選挙とし、自民党が不利になることは考えにくい。うまく作戦を立てるものだな、と思う。だが、そんな知恵を使えるのだったら、もう少しまともな頭の使い方しろよ、とやはり言いたい。

 民主党は選挙をにらんで、自民党と政策上の対立軸を明瞭にしようと検討を始めたそうである。私は冷ややかだ。従来どおりの「豊かな」日本を追い求める点で同列であれば、金と権力に貪欲でしたたかな自民党に勝てるわけがない。そもそも、政策というのは、選挙民の歓心を買うとか、自民党との対立軸を明確化することを第一として作るものではなく、どうすることが平和で幸福な世の中を作ることになるのかという絶対的思考で、結果として生まれてくるものでなければならない。ご機嫌伺いで、相対的に考えていては、事あるたびにぶれて、何がしたいか分からなくなるばかりだ。

 私が思うに、自民党に対する最も明瞭で、最も重要な対立軸は「環境」であるべきだ。環境を最優先にして、経済を犠牲にする。豊かさを放棄することで、国際対立も解消に導く。これこそが、現在最も必要な争点であるはずなのである。

 昨日の「天声人語」は、久しぶりで面白かった(←9月くらいから駄作が多かったと思う)。そこには、環境問題との関係で、ミヒャエル・エンデのある主張が引かれている。

「誰も気づかないだけで、私たちは第3次世界大戦のまっただなかにある。そう考えたのはドイツの故ミヒャエル・エンデだった。(中略)『モモ』『はてしない物語』で知られる世界的な児童文学者によれば、その戦争は領土ではなく時間の戦争なのだと言う。「わたしたちは、わが子や孫に向かい、来るべき世代に対して、ようしゃない戦争を引き起こしてしまった」(中略)未来への容赦ない戦争とは地球環境の破壊を指す。(中略)「第3次世界大戦」で滅びかねないのは、未来である。ゆえにエンデは時間の戦争と表現した。」

 エンデは実に上手いことを言う。「天声人語」の論調も、きれい事に流れず、問題を曖昧にせず、非常に明確でよい。そう、今の私たちにとって、敵は中国でも韓国でもロシアでもなく、コントロールすべきは経済(不況)ではない。目先の利益だけを考えるか、将来の利益を考えるか、そんな時間スケールとの闘いであり、それはとりもなおさず、私たち自身との闘いでもあるのだ。