食糧問題についての自説を問い直す



 浅川芳裕『日本は世界5位の農業大国』(講談社+α新書、2010年)という本を読んだ。人に「こんな本があるよ」と言われて見ると、副題として「大嘘だらけの食糧自給率」と書いてある。日頃から、私が最も強い問題意識を持っているのは「環境」と「食糧自給」と言っている私としては、読んでおかなければなるまい。

 私は、先日「消費税」について前言撤回をした(→こちら)のと同じようなことが起こるのではないかと、半ば恐れ、半ば期待しながら読んだのだが、結果として、共感・納得する部分もありはしたものの、全体としてはまったく感心しなかった。

 月刊『農業経営者』の副編集長だという著者は、一貫して「経済活動としての農業」を考察している。だから、タイトルとなっている「世界第5位の〜」でも、5位になっているのは、「食糧生産額」であり、「農業GDP(農業が生み出した付加価値の総額)」である。「カロリーベース食糧自給率」という指標には極めて否定的だ。作者によれば、「先進国」とは、「少数精鋭の農家が技術力、生産性を高めた結果、大きな付加価値(農業GDP)を生むことができるようになった国」である。日本は、農民1人あたりの農業GDP(農業指標)を過去5年間で5000ドルも伸ばしているという意味で、「先進国」と言えるらしい。

 生産性の向上がいったいどのようなものであるか、著者は次のように書く。

「生産性の向上にもっとも貢献しているのが施設園芸である。施設園芸とは、ビニールハウスを始め、特殊フィルムやガラスを用いた園芸ハウスを設置し、外部環境を制御、病害虫の進入を抑えて高効率・高品質栽培を可能にする生産方式だ。」

 また、著者は日本の農業を活性化するために、「日本農業成長八策」を提言するが、それは以下のようなものである。

1、民間版・市民(レンタル)農園の整備

2、農家による作物別全国組合の設立

3、科学技術に立脚した農業ビジネス振興

4、輸出の促進

5、検疫体制の強化

6、農業の国際交渉ができる人材の育成または採用

7、若手農家の海外研修制度の拡充

8、海外農場の進出支援

 更に、著者は、食糧安全保障に関して、イギリスの主張を極めて肯定的に紹介するが、その中には、「究極的には、エネルギー安全保障を向上させることが鍵である」「自給率という指標は外部に大きく依存しており、それ自体で自己完結できないのだ」という表現が見られる。

 ここまでくると、私と問題意識の基盤がいかに異なっているかがよく分かる。著者の唱える「八策」のうち半分以上、少なくとも後半の5つは輸出に関することだ。また、生産性の向上は、「外部環境を制御」という言葉によく表れているとおり、石油を燃やし、人工的な環境を確保することで、付加価値の高い農業を実現させると主張しているのである。

 私は、「環境」の保護を最優先に考えるべきだ、また、そもそも「環境」を棚上げしたとしても、石油に代表されるエネルギー資源は近い将来枯渇する、だから石油を燃やして生産性を上げるという考えを取るべきでない、と訴えている(→この点に関しては、隅田勲氏の考察をぜひ一度読んで欲しい)。著者は、「(農水省にカロリーベース食糧自給率にこだわる理由を)問うと、「食糧危機時代、来たるべき輸入全面停止に備えるため」と、鎖国的な全面戦争論をむき出しにする」と言うが、私は石油はほとんど使えなくなるという想定の下に、「来たるべき輸入全面停止」に近い状況は、実際に起こると考えている。むしろ私は、石油が枯渇しなくても、「環境」のため、積極的に一刻も早くそのような状況を作り出すべきだと考えている。著者にとって「輸入全面停止」が「鎖国的な全面戦争論」であるのは、輸入が出来なくなったら、戦争してでも食糧を取ってこい、と考えているからだろう。

 今の世の中の動きを見ていると、私のような環境やエネルギー資源に対する危機感は皆無だ。いや、エネルギー資源についての危機感はあるのかも知れないが、それは、集団的自衛権の行使によってシーレーン(石油の輸入路)を確保するという、私とは正反対を向いた危機感だ(安倍首相が集団的自衛権の行使に執着する本当の理由はここだと私は思っている)。1〜2年、いや、5〜10年のうちに農水省の言うような状況が発生することはなく、人々は湯水のように遠慮なく石油を燃やし続けて、その間は農業の生産性も維持・向上するだろうから、私が阿呆で、著者の側が正論に見えるに違いない。だが、その「正論」は必ず破綻する。付加価値を高めて、一粒1000円のサクランボを作り、その積み重ねで生産額世界第何位と言っていてもダメなのである。

 さて、このように考えてくると、なんだか私は、カロリーベース食糧自給率40%を問題とし、社会主義的な計画農業で自給率を引き上げようとする、農水省の考え方・やり方に全面的に賛成のようだが、そうとも言えない。著者は、農水省の食糧自給率に関する動きを、省益と天下り先と票を確保するためのものとこき下ろしている。そこで動いているのが役人であり、政治家である以上、農水省でも文科省でも国交省でも体質は同じだろう。だとすれば、日頃見ている文科省の動きから類推するに、農水省も確かにそうなのだろうと思う。著者が指摘する農水省の問題に、私は賛同できるのだ。農水省だけが良識的に、「成長戦略」などと煽ったりせず、先細りの世の中を冷静に見つめて動いているとは考えられない。農水省とそれを取り巻く政治家が、自分たちの利益をがっちりと抱え込むために考え出した戦略が、たまたま私の考え(見通し)と一致する部分もあるというだけなのではないか、と思う。

 著者は、農家に考えさせ、競争させ、健全な黒字経営を目指させるべきことを力説する。これは間違いではない。むやみに補助金をばらまき、生産管理をして、農家が緊張感と向上心を失ってしまうことはよくない。自立した農家によって、十分な食糧生産が行われるのが理想だ。だが、それは石油がいくらでもあるという前提での競争であってはならないし、過度に自由にすることで、もうかる作物だけを作って、それ以外(特に穀類)を輸入頼りにしてしまう状況を生むこともよくない。

 農政のあり方については、確かに検討が必要である。だが、農水省と政治家が自分たちの利権中心の考え方を改めない限り、健全な農政は行われず、農水省と政治家の体質が変わるためには、国民の意識が変わらなければならない。

 ともかく、私は著者・浅川芳裕氏と対極的な立場に立つ。消費税の時のような「前言撤回」は必要なさそうだ。私は浅川氏の主張を「アベノミクス的農業論」と呼びたい。