また田んぼが消える

 一昨日の「石巻かほく」という超ローカル紙トップ記事は、「合庁南に大型商業施設」というものであった。当該地区の大きな写真も添えられている。写真というのは、収穫直前の田んぼの写真だ。
 これでまた石巻が更に発展する、と喜んでいる人が圧倒的多数派なのだろうけど、私なんかは「あぁ、またか・・・」と暗い気持ちになる。東松島・柳の目地区と言えば、すぐ近くに巨大なイオンタウンがあり、その周りに大規模店舗がたくさん建ち並んでいる石巻新都心から、せいぜい徒歩で15分ほどの所だ。なぜこれ以上大規模商業施設が必要なのか理解に苦しむ。しかも、そのための土地は田んぼで、その商業施設に集まってくる人たちはほとんど全て、石油を燃やし、車で来るのだ。
 いやいや、出店者だって市場調査を念入りに行い、採算が取れると見込むからこそ出店するのだ、と言うかもしれない。しかし、全体の需要量は一定で、むしろ過疎化によってじり貧のはずだ。だとすれば、新しい商業施設に集まる人というのは、他のどこかから流れてくるということになる。ということは、それによって閑古鳥が鳴き、閉店に追い込まれる店ができるということだろう。
 田んぼは一度つぶしてしまうと元には戻らない。新しい大規模商業施設の影響で閉店する店が出たとしても、その跡地は当然田んぼにはならない。こうして、大切な大切な食糧生産の場がまた少なくなる。
 仙台に電車で向かうと、岩切~東仙台で、田んぼを埋め立てての大規模土木工事を目の当たりにする。JR貨物のターミナルを宮城野原から移転してくるための工事らしい。JR貨物が勝手に、いや単独でやっているわけではない。宮城県が、宮城野原の貨物ターミナルに広域防災拠点を作るとかで、そこから押し出されてやって来るのだ。巨大土木工事大好きな宮城県知事のたいへんご立派な「政治手腕」なのだそうだ(→このことについての記事)。
 どうして「農業用地」を「商業用地」にすることを簡単に(かどうかは分からないが・・・)認めるのだろう?ただでさえも食糧自給率が極端なまでに低い日本である。「食料安全保障」という言葉もある通り、自力で食べていけない国を作ることは、国民の安全そのものに直結する問題である。今の日本(政権)が「自由で開かれたインド太平洋」の維持を訴え、日本を取り巻く国際情勢の悪化を口実に、防衛費を大幅に増やそうとするのも、本当の意味での「正義」を目指しているからではなく、単に日本が石油と食料を輸入できなくなると困るからに過ぎない。
 もっとも、仮に田んぼの売却、農業用地から他用途地への転換を禁止したとしても、後継者不足による廃業を禁止することはできない。だからこそ、もっと長期的に、もっと広い視野で日本の農業=食糧確保を考えなければならないのだ。特に農業用地は、他の様々な物と同じように、個人の持ち物だからといって個人の判断に任せてしまうわけにはいかないのだ。
 あらゆる物の値段が上がっている。これは私も痛切に実感し、負担感をはっきりと感じるほどのものだ。仕方がない。構造的にそうならざるを得ない状況があるのだから・・・。しかし、それでも米は30㎏が7500円そこそこで売られている。野菜類も、さほど値上がりしている感じがしない。毎日ではないけれど、探せばやっぱりキャベツは99円で、キュウリは1本40円弱だ。
 全ては近視眼的な政治と、それによって作られた社会構造の故である。あ~あ、あそこの田んぼがまた消えるのかぁ・・・新聞を見ながら深いため息をつく。