遠くて近い石巻と沖縄



 昨日のテレビで、石巻市渡波地区の災害公営住宅が完成した、というニュースをやっていた。いかにもめでたい。

 だが、私は以前から、けっこう冷たいのである。これだけ空き地、空き家がたくさんあるのに、田畑を潰して新しい土地を作るというのが耐え難いのである。田畑がなくなる、食糧生産が減る、自然界のいろいろな生物が住む場所を失う、食物連鎖が狂い始める、そのために多くの石油を燃やして重機やダンプカーを動かす・・・何もかもが間違っていると感じる。

 実は、26年前、私が生まれて初めて石巻市民になって住んでいた場所は、今回、災害公営住宅が完成した地区のすぐそばだった。最初の年、夏になると、どこからともなく蛍が飛んできた。これは驚きだった。26年前どころか、私の記憶をたどることの出来る45年前でも、既に蛍は全国的に希少で、見ることの出来る場所はほとんどなかった。それが、地図に「〜蛍生息地」などと書いてある場所でもないのに、日常のごく当たり前のものとして蛍が見られたのである。その蛍は、間違いなく、私が住んでいた住宅地のすぐ北側に広がる田んぼから飛んできたものだった。その田んぼが、今回、震災を理由として埋め立てられ、消えたのである。もちろん、もう蛍は飛んでこないだろう。埋め立てられた整然とした住宅地を見る時に、私の脳裏に浮かんでくるのは、あのかそけき蛍の明かりである。

 奇しくも同じ日、沖縄で官房長官と県知事の会談があった。当たり前だが、まったくの平行線だったらしい。渡波の田んぼと、辺野古の海が、私の頭の中で重なり合う。あの美しい珊瑚礁の海を埋め立てて、戦闘機を発着させる。私には、それが必要やむを得ざることだという「現実」がよく見えない。湯水のように石油を燃やして、より「豊かな」生活を求め、陣取り合戦をしていられるご時世ではあるまい、と思う。

 沖縄にしても石巻にしても、人間のやることとして一貫性がある。だが、その一貫性は実に哀しい。