バヌアツ・ショック



 3月の半ばに、国連防災世界会議という大イベントが仙台で行われたことは、知っている人も多いであろう。何しろ、被災地のど真ん中に住んでいるので、その出席者らしき人々が、我が家の近くに見物(視察?研修?)に来ているのは目にしたし、交通規制で多少面倒な思いもした。

 それはともかく、私は、様々な報道に接しながら、半分くらい「どうも違うな」と思っていた。地震や火山噴火などに対する対策はそれなりに必要だと思う。しかし、今後、世界で必要になる「防災」、もしくは、災害の後始末というのは、気象が関係するものが急激に増えるはずだし、その大部分は温暖化の結果として、いわば人為的に引き起こされたものだからである。防災とは、半分以上が温暖化対策であるべきで、それは災害が起きてしまった時にどうするか、防災機能をどう強化するかという問題ではない。

 折しも、防災会議の最中に、バヌアツを巨大なサイクロンが襲った。今、切り抜いたまま部屋に放置してあった、3月31日付け『朝日新聞』の「世界発2015 温暖化 おびえる南の島」という記事に誘われてこんなことを書き始めたのだが、太平洋に点在する島国にとって、本当に切実な脅威だろう。いや、他人事ではない。日本でも、ゲリラ豪雨、巨大台風、そして冬には(←冬にも、だと私は実感している)、北海道付近で急激に発達する爆弾低気圧が、間違いなく増えていると思う。温暖化=水蒸気の増加によって引き起こされる自然災害は激烈である。最大の防災、すなわち温暖化対策は、私が以前から言うとおり、正に一刻を争うのである。(→参考

 2013年2月4日の『朝日』に、いろいろな自然現象の持つエネルギーの比較が載った。世界で人間によって1日に消費されるエネルギーの総和を1とした場合、いろいろな自然現象で動くエネルギーが、どれくらいの数値になるかという記事である。記憶に新しい東日本大震災は1.4である。世界中の人間が今くらい節操なくエネルギーを使っても、その24時間分より東日本大震災のエネルギーの方が大きいのだから、自然の力は偉大だ、と言うべきか?人間は小さい、と言うべきか?

 ところが、そんな議論をしてはいけない。実は、自然界の現象の中で、東日本大震災などは、まったくたいした現象ではないのだ。例として挙げられている気象現象の中では、200億トンの雨を降らせる台風(雨の多い普通の台風レベル)が33。800億トンの雨を降らせる台風(1976年の台風17号レベル)だと、なんと130である。東日本大震災の100倍近い。もっとも、東日本大震災はそのエネルギーが、ほぼ一瞬に放出されているのに対して、台風は1週間もかけて放出されているのだから、1.4と130を公平に比較するのは難しい。しかし、それが途方もないエネルギーであることは、間違いが無いであろう。

 バヌアツを襲ったサイクロンは、中心部の気圧が900hpa、最大風速70mであった。2013年にフィリピンで7000人の死者を出した台風30号に匹敵する。「匹敵する」と書けば、ああ、他にもあるのね、と感じるが、もちろんここにあるのは、他にもあるという安心ではなく、例外ではなかったという恐怖である。地元の人々の間では、「次のサイクロンはもっと巨大になるのでは」とささやかれているという。私もそう思う。そして日本も例外ではない。それでもまだ、経済成長だとか、景気の回復だとか言っているから、世の中の人々の頭はおめでたい。30mの風が吹いても恐怖を感じるのに、50mとか70mとかの風が吹く台風が、じりじりと近付いてくる時の恐怖は、想像しただけでも身の毛がよだつ。

 「災害を起こす主な要因は地球温暖化だ」(バヌアツの大統領)、「集中豪雨による洪水や海面上昇による海岸浸食、地下水の塩水化は「先進国がもたらした温暖化のツケではないか」との不満がある」(南太平洋の島々)、「我々は世界で最も災害が起こりやすい地域にいる」(ツバルの国連大使)、「サイクロンがこれほどの規模にまで南太平洋のこの地域で育つのは非常に珍しい」(某科学者)、「台風30号の直後にポーランドであった国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP19)では、フィリピン代表が、「温暖化でこんなスーパー台風が起きるのだ」と涙ながらに語り」・・・ と記事から拾ってみる。人はいったい、いつになったら我がこととして考え、生存のために目前の安逸をあきらめられるのだろうか?