これも震災の余波



 約1ヶ月ぶりで仕事のなかった先週末は、珍客が来ていたので、それに付き合っていた。台湾からの女性3人組である。

 1988年1月に、私は台湾中部の彰化という町を訪ねた。中東を旅行していた1984年にイスラエルキブツ(集団農場)で知り合ったAという友人が、そこのYMCAで日本語を教えていたのである。3日間滞在し、特にすることもないので、彰化や鹿港の街をうろうろしたり、YMCAの事務室のお姉ちゃんとお茶のみをしたりしながら時間をつぶしていた。その事務室のお姉ちゃんであったHと、帰国後数年間は手紙のやりとりをしていた。特に好意を持ったわけではない。当時は誰でも友達、郵便(特にエアメール)大好きだったので、年に1〜2度、簡単な手紙のやりとりをしていただけである。10年ほどで、それも自然と絶えた。特に気が合うわけでもなく、今後再会する可能性(意思)もない相手と、手紙のやりとりを続けるモチベーションは保てない。当然のことであろう。

 ところが、2011年夏、思いがけずHから手紙をもらった。家でいろいろな物の整理をしていた時に、昔の私の手紙を見付けた、住所が「石巻」である、東日本大震災のことがあるので、久しくご無沙汰ではあるが、何となく気になって手紙を書いてみることにした、とあった。震災によって、ほとんど年賀状だけの付き合いになっていた人間関係がいくつも復活した、という話はかつて書いたことがある(→こちら)。それは国内の人間関係だけではなかったのだ。

 その後、クリスマスカードの交換程度のやり取りが復活したと思ったら、今年の9月に、石巻を訪ねていいか?というメールが届いた。お互いの日程調整や、彼女の側の準備(航空券の確保など)を経て、今回の訪石が実現した。鳴子温泉石巻の宿の予約は私がしたので、女性が3人で来ることなどは分かっていたのだが、私はHの顔すら覚えていない。いや、覚えていたとしても、26年の変化を思えば、それはほとんど意味のない記憶だろう。土曜日の昼に石巻駅にやって来たのは、4日間の旅行とは思えない巨大なスーツケースを持った、とんでもなく陽気な美女3人組であった。

 土曜日は日和山や我が家、イオン・モールなどを回って、夜は駅前の居酒屋、日曜日は女川とサン・ファン館を回ってから、仙台空港まで送ったのだが、その辺の詳細は省略。いくつか、印象に残ったことだけ箇条書き的に書いておく。


・(事前の話)石巻の宿を予約するに当たり、日本式の旅館がいいと言うので、駅前の某旅館に電話をした。部屋が空いていることを確認した上で、「私ではなく、台湾人が泊まるのだ」と言ったら、外国人には対応できないと言って、断られてしまった。今時、そんな宿があるというのは驚きだった。アメリカ人やドイツ人でも断られるのかな?と思った。

・上の某旅館以外は、どこもかしこも本当に親切だと感じた。鳴子のホテルも、彼女たちの好き嫌いを知らせたら、実に快く、配慮すると言ってくれたし、女川のかまぼこ屋で買い物をすれば、包装に関する注文に、若い女性の店員さんが、とても自然な好感の持てる態度で応えてくれた。日本人である私は、ひどく常識的な注文しかしないので、対応に感動することもないのだが、こうして外国人の少し突飛な注文にどう反応するかを見ていると、これが今盛んに言われる「おもてなし」というものかと、ひどく納得させられた。

・何のために巨大なスーツケースを持って来たのかと思ったら、ものすごい購買力である。そんなもの、台湾なら手に入るでしょ?と言いたくなるようなものを、手当たり次第に、ものすごい勢いで買う。中国人(中華人民共和国籍)の購買力ということがよく話題になる。だが、それは言葉は悪いが、成り上がりの中国人だからであって、資本主義の道を歩み、早くから経済発展を遂げていた台湾の人は、そんなに物を買ったりしない(買う物がない)と思っていた。リンゴ、干し柿、薬類(「ムヒ」や「アリナミンEX」なんて、店からなくなるほど!)。どこで知ったか、「ハロー・キティ」の切手が欲しいと言うので、とりあえず中央郵便局に連れて行った。局員が、もうそんな切手はない、と言うにもかかわらず、あらゆる引き出しやファイルを確認してもらい、彼女たちが知っていたデザインとは少し違うが、キティの切手が見つかった時には、その執念に恐れ入った。

・購買力を支えるのはお金である。日本の物価はどうか?と尋ねると、台湾より安いからいい、と言う。これも驚き。産油国のような特殊事例は別として、北欧やスイス、日本というのは物価が高い国の代表格と私は信じ、実際、自分が外国を旅行する時には、他国の物価の安さに常に助けられてきたからだ。台湾はもともと経済力があった上に、アベノミクスの恩恵で円安が進んだことで、彼女たちには日本の物価が安く感じられたようだった。

・土曜日の夜に街に飲みに行った。予定が分からなかったので、予約をしていなかったところ、3軒で席がないと断られた。街が閑散としているのに、なぜか店に入るとごった返している。このギャップが彼女たちにはひどく奇異に見えたらしい。確かに、台湾でも中国でも、街には湧いてくるように多くの人が歩いている。


 わずか4日(実質2日半)だったが、初めて日本へ個人旅行をして、彼女たちはとても楽しかったようだ。ご機嫌で帰って行った。私も、どんな相手だか分からないので、少し身構えていたが、あまりにもあっけらかんと明るいので、気を遣うこともなく、脳天気に遊んで、それなりに愉快な2日間だった。それにしても、世の中って、思いもかけないことが起こって面白いなぁ。