「お手紙」は素敵だ



(4月23日付学級通信より)


 先週の金曜日に、ちょっとした用事で郵便局に行った。ふと窓口の所を見ると、きれいな切手を売っている。「米国への桜寄贈100周年」という記念切手で、80円切手が10枚小型シートになっている。記念してわざわざ切手を発行するほどのことなのかな?と思いながらも、あまりきれいなので、つい買ってしまった。いつも思うが、日本の紙幣と切手は芸術品だ。

 しかし、私はそれを観賞用として買ったのではない。こういう切手を貼って「手紙」を出したいなぁ、と思って買うのである。ところが、携帯電話を持たない私でさえも、最近はメールで用事を済ませることが多い。メールのアドレスだけ知っていて、住所を知らないという人も多くなってきた。手紙を書く時でも、たいていはパソコンで書いて、サインだけ自筆というパターンだ。文章を推敲しやすい上、手元にコピーが残るのはよいが、やはり味気ない。

 思えば、大学時代くらいまでは、実にたくさん手紙を書いていた。自分がどれくらい手紙を書いたかは分からないけれど、いちいち捨てずに取ってある受け取った手紙が段ボールに一つ以上残っていることから考えると、自分もそれくらいは書いているのだろうと思う。作文練習の場としても、貴重な場だったと思う。

 数日後にその文章を読む人のことを思いながら、万年筆を持って紙に向かう、帰宅するとポストの中に手紙が入っているのを見つける、そこには何とも言えないロマンと人間的な温もりとがある。自分自身そういう機会が減っていること、若い人たちはそういう経験がほぼ「皆無」らしい、ということは寂しい。机の中には、こうして美しい切手がどんどん増えていく。