今夏のお手紙教育(3)

 (しばらく間が空いてしまい申し訳ありません。今日ようやくアンケート終了。)

 夏休みは33日。完全に平均的にはがきが届くとしても、1日あたり7通を超える。日曜日は配達がないし、夏休みの最初の2〜3日はほとんど届かないだろうから、それらのことを考慮すると、10通になるだろう。というわけで、その事情を生徒に話し、「諸君に自筆を義務づけながら申し訳ないが、私は文面を印刷する」と了解を求めた。
 早々、夏休み初日から、はがきが届き始めた(2番目に届いたはがきに「ご無沙汰いたしております」とあったのには大笑い)。しかし、案外数は多くない。不提出がたくさん出るか、最後の2〜3日に駆け込みで大量に届くかだな、と不安を感じた。結局、はがきを寄越したのは179名であった。不提出が60人ということである。最後の駆け込みはなく、最もたくさん届いたのは、8月13日の24通。ただし、祝日との関係で、11、12日に配達がなかったので、これは3日分と考えることもできる。他に10通を超えた日は2日である。ゼロという日は1日もなかった。
 毎日、帰宅するとポストに必ず数枚のはがきが入っているというのは楽しいものである。女子生徒を中心に、課題で仕方なく書いたとは思えない凝ったイラストを入れ、けっこう細々と字が書いてあるはがきも多い。額に入れて展示したいような芸術品も少なくない。
 私は一読すると、学校で文面を印刷しておいた「かもメール」に、住所印を押し、日付を入れて署名し、生徒の文面を受けた書き込みをする(1〜2行)。ちなみに、私が印刷した文面は、次のとおりである。

「暑中お見舞い申し上げます  2018年盛夏
葉書ありがとう。元気そうで何より。
無用の用:役に立たないと思われているものが、実際は大きな役割を果たしているということ。「休み」というのはそんなものです。それがどのような役割を果たすかは自分次第。いい休みになるといいね。
くれぐれもお元気で。休み明けにいい笑顔を見られるのを楽しみにしています。」

 本文冒頭の「葉書」の前に、挿入記号を入れて、「かわいい」「美しい」「楽しい」などと書き込んだりもした。文面の下に、風鈴、ひまわり、かき氷、蚊取り線香の1㎝四方くらいの小さなイラストを4つ並べて入れた。色がきれいなので、アクセントとしてよかったと思う。
 8月に入って間もなく気がついた(それまでは忘れていた)のだが、立秋を境に、「残暑見舞い」に切り替わる話を生徒にするのを忘れていた。良識ある諸君なので、私が教えなくても、そのように文面を変えてきた生徒もけっこういるが、中には、「暑中」を「残暑」に変えながら、本文にテキストの例文をそのまま写したかのような「炎暑厳しき折」が残っているなど、「頭隠して尻隠さず」式のはがきも多くて笑ってしまった。
 私も、文面を途中で2度変えた。最初は「暑中」を「残暑」に、「盛夏」を「晩夏」に変えただけだったが、その後、夏休みも半ばを過ぎてから「いい休みになるといいね」はないな、と思って削除し、「くれぐれもお元気で」を「夏休みももうおしまい」に変えたのである。
 さて、私の返信を生徒たちが喜んだのかどうか?これが今回のお手紙授業の大切なところである。今回のシリーズ第1回で書いたとおり、ある程度時間が経ったところで、最終アンケートを取ることになっている。二つの問いについて結果を公表しておこう。集計したのは、実際にはがきを出した生徒で、かつ、アンケートを取る時授業に出ていた生徒である。その数170人。( )の%は回答者の中での比。

Q:これからも手紙を出してみたいと思うか?
   思う 129(76%)   思わない 41(24%)
Q:今回のはがきのやり取りで一番心に残ったのは?
  書いている時 66(39%)   投函する時 5(3%) 
  返事が届くまで 15(9%)  返事を受け取った時 79(46%)
  無回答 5(3%)

 何事につけても生真面目で、課題提出率の高い塩釜高校生として、60人(私が受け持つ全生徒の25%)もの生徒がはがきを出さなかったのは意外であり、残念だったが、実際に出した生徒について8割近くがまた手紙を出したいと考えていることから、所期の目的は達せられたと評価してよいのではないか。
 下のQでは、「返事を受け取った時」を選ぶ生徒がもっと多い、いや、「書いている時」を選ぶ生徒がもっと少ないと思っていたので、予想外と言えば予想外だったのだが、「書いている時」が心に残ったというのは、相手(今回は私限定)のことを思う気持ちの強さの表れなわけだから、これはこれで歓迎すべきデータであるようにも思う。今回私は、はがきを受け取ったその日のうちに返事を書き、遅くとも翌日には投函していたので、生徒が投函してから返事を受け取るまでの日数は3〜5日だ。数日の間を置いて返事を出していれば、「返事が届くまで」を選ぶ生徒はもっと増えたのではないか。
 思い出すのは『徒然草』第137段だ。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」で始まるあの段である。兼好は、満開の桜や満月だけではなく、それらの予感・余韻・想像の中に情趣を見出している。人と会うことについても同様のことを語る。投函する時に感慨を抱き、返事が届くまでの時間を落ち着かなく過ごしたことは、そのような兼好の美意識と通じる。この選択肢を選んだ生徒たちこそ、ものの良さが分かる生徒たちだな、と思った。(完)