「ロス」の寂しさと喜び

 石巻地区の高校は、今日と明日が支部総体。そこで私は、美術部の生徒を引率して、サッカーの応援に行っていた。
 帰宅したら、沖に蒼鷹丸というFRA(水産教育研究機構)の調査船が停泊しているのが見えた。決して珍しい船ではなく、石巻にもよく寄港するが、私が確認したのは本当に久しぶりだ。先日のコウナゴ(→こちら)と関係あるのかないのか・・・?
 ところで、5月6日の土曜日から家族が一人減った。娘がフィリピンに行ってしまったのである。来年からマレーシアで大学生活を始める予定なのであるが、英語力が甚だ心許ないので、比較的学費が安く、英語教育施設が充実しているフィリピンのセブ島に3ヶ月限定で行かせたのである。
 と書くと、いかにも平居は金を持っている、とうらやまれそうだが、そんな詮索は当たらない。なにしろ、娘は高校を卒業するまで、塾に行かせたことも家庭教師をつけたこともなく、教科書以外の問題集の類いも、ほぼ学校で渡されるものしか使っていなかった。しかも、高校は自宅から徒歩10分の県立だ。だから、18歳までの教育にかけたお金は記録的最少限だった。また、マレーシアという国はイギリス式の学制をとっているため、大学を3年で卒業できる。物価水準の問題もあって、どう考えても、東京の私大に4年間通わせるよりは安くて済むのである。
 まぁ、今日はそんなことはどうでもいい。
 寂しいのである。もちろん私が、だ。息子は野球少年で、妻はその追っかけをしている。私と遊んでくれていたのは(笑)娘だけだったのだ。こういうのを「ロス」と言うのだな、としみじみ思う。
 もっとも、できれば外国の大学に行けとけしかけていたのは私だ。本当は高校から、と言っていたのだが、高校に入る時は、頑として首を縦に振らなかった。ところが、大学については、自分から外国に行きたいと言い出して、いろいろと行き先も探していた。
 すったもんだの末、5月から7月までフィリピン、来年の1月か3月からマレーシアと決まって、パスポートを取得し、代理店から手配書や航空券の確認書を受け取った頃から、目に見えてわくわく感が高まってきたのが分かった。
 1歳半の時に、娘を連れて広州と香港に行ったことがある。しかし、帰国直後に「何してきたのか思い出せる?」と尋ねたところ、「ミカン食べた。中国のミカンにも種あったよ」としか答えられなかったくらいだから(笑)、今回が娘にとっては実質的に初めての海外となる。冷たい父親は、当然のように石巻駅までしか見送りに行かず、東京駅から先はすべて娘にとって初めての場所ばかりである。不安がないとは言えない。しかし、一方で、海外へ行くことにも、そこでいよいよ本格的な学びの一歩を踏み出すことについても、大きな期待を抱いている。それらの入り交じった気持ちが、娘の心の中で高まってきたのが出国の直前1週間だった。そんな娘に、私はそれまでにはなかった初々しさを感じ、愛おしいと思った。同時に、不思議なことに、娘に対してそんな気持ちを抱く自分自身にも、私は「愛おしい」としか言えないような感情を抱いた。
 石巻駅で別れる時、私は「パパはおまえの生活をリアルタイムで知りたいなんて全然思わないから、写真添付のメールなんて寄越すなよ。それよりお手紙を書きなさい」と言った。妻には、ラインか何かで、空港に着いた、寮に着いた、同室者がどんな人だった、とこまめに連絡を寄越しているらしい。私はそんな情報を「いちいち教えてくれなくていいから・・・」と拒否した。不要な情報だというだけでなく、距離感もなく、何でもリアルタイムに分かっている世の中なんてつまらない。また、仮に何か問題があったとしても、現地でなんとかしてもらうしかない。それも価値のうちだ。
   ところが、到着の翌々日、メールどころか、早くも電話がかかってきた。レベルチェックテストの結果が悪すぎて、希望のクラスに入れてもらえない、期間を延長して入れてもらえるようにするか、希望のクラスではないが、とにかく当初の予定の3ヶ月(12週間)を頑張ってみるか、どうしたらいいだろう?と言う。少しべそをかいているようにも聞こえた。前者の選択をする場合、学費が変わってくるので、私に相談しないわけにいかなかったらしい。多少の話の後、娘はとりあえず3ヶ月頑張る、と言って電話を切った。
 そうしたところ、今度は40℃の熱を出して、早々金曜日の授業を休んだ、という。正に缶詰状態の特訓で、授業は非常に厳しいらしい。
 親元から田舎の県立高校に通い、これ以上ないぬるま湯状態で生きてきたわけだから、海外で勉強することが非常に厳しい試練になることは分かっていた。もっとも、分かっていたのは私であって、娘がどこまで想定していたかは定かでない。
 だが、そんな壁にぶち当たった時、娘はどうするだろう?挫折して帰ってくるのではなく、いろいろと考え、努力し、なんとかするに違いないと思う。彼女の心の中で起きるであろう様々な葛藤や、それに耐えて頑張ろうとするけなげな姿を想像しては、またしても愛おしさがこみ上げてくる。最近、私はそんな父親を生きている。