濃厚なる異文化の香り



(10月5日付第2次月曜プリントより、加筆転載)

 9月29日及び30日付『河北新報』から引用(このブログに記事を貼り付けられないので、「要旨」を書いておく)

29日:「運転女性にむち打ち刑」・・・サウジアラビア・ジッダの裁判所が、女性の運転の解禁を求めて運転を強行した女性に、むち打ち10回の判決を言い渡した。サウジでは「見知らぬ男性との出会いの機会が増え、家庭崩壊につながる」などとする保守勢力の意見から、女性の運転が禁じられている。

30日:「むち打ち10回判決撤回」・・・上の判決について、サウジのアブドラ国王が撤回を命じた。理由は明らかにされていないが、女性の権利向上の方針に反すると判断したと見られる。

(以下、プリントの本文)

 先日、『河北新報』で、2日続けてこんな小さな記事が目に止まった。

 イスラム教は、非常に厳格な規則社会を作る、特に、著しく女性の自由を制限する傾向があることは、諸君も知っているであろう。その厳格性を最もよく保っているのが、教組モハメッドを生んだサウジアラビアであるというのも、実は有名な話である。

 しかし、私も、まさか車の運転がダメとは知らなかった。そもそも、イスラム社会で、女性はベールをかぶり顔を覆っているので、視野は著しく制限され、車の運転は危険である。ところが、運転禁止の理由は、安全上の問題ではないという。

 記事でその理由を読んで、諸君は「なるほど!」と思うだろうか?また、裁判所の判決が、わずか1日で、国王の命令によって撤回されるというのも驚きだ。裁判所の判決に疑問を感じた人は、国王の決定を歓迎するだろうが、それは軽率である。常に国王が良識的だという保証はない。人々が導き出した良識的決定を、国王が踏みにじり、理不尽なことを強制するという横暴への道もまた開かれている、ということを意味するのである。

 「むち打ち10回」という刑罰も含めて、「異文化」の香りがこれほど濃厚に漂う記事も珍しい。このような人たちと付き合い、価値観が対立して、折り合いを付ける必要に迫られた時に、私達はどのように考え、行動すべきだろうか?「グローバル化」の時代、これは決して他人事ではない、リアルな問題と考えた方がいい。

 いや、その前に、隣の席に座っている人でさえ、理解し、協調するのは難しい。人の世はなかなか大変なのである。