テクノロジーと人間



 先週、夏休み直前に出すPTA会報の原稿としてアンケートに応じて欲しい、と紙を渡された。見れば「座右の銘」を書け、とある。さんざん考えたあげく、「座右の銘」が何か悩むということは、そもそも「座右の銘」がないということだと観念し、かといって、白紙で返すわけにもいかないので、「文明は人間を堕落させる」「文化の質は掛けた手間暇に比例する」と書いた。一高全日制60人余りの職員で、「座右の銘」として自分の口癖を書いた人間は、私の他には居るまい。

 「文明は人間を堕落させる」とは言うものの、授業でやった通り、経済を抜きにして環境問題が語れないのと同様、実現可能な技術(文明)を使わないことが可能かという問題を無視して、テクノロジー(文明)の負の側面について語るのは難しい(意味が薄い)。では、平居はその問題をどう処理するのか、という質問を受けた。

 困った。私としてもさしたる名案があるわけではない。余りにも平凡で申し訳ないが(この平凡さが、問題の深刻さを物語っているとも言える)、私は、それを克服する方法があるとすれば、テクノロジーの負の側面とテクノロジーに対抗できる価値観について、気付いた人、考えた人が徹底的に宣伝することと教育しかないだろうと思っている。もちろん、これとて非常に困難で、或いは実行しても、テクノロジーの使用を抑制することが可能かどうかはよく分からない。しかし、私達には、その可能性を信ずる根拠となるひとつの例がある。それは、喫煙を減らすことについての社会の取り組みだ。もちろん、喫煙のメリットが余りにも小さいために、その他の魅力的なテクノロジーと同列に考えることは難しいかもしれない。しかし、可能性は小さな希望を信ずる所から開けると思う。先週は、遂に、JR東日本が新幹線を全面禁煙化することを発表した。

(注:この文章は、授業で扱った『テクノロジーと人間』という文章、及び、それに関する授業中の問答を前提としているため、ここだけ読んでも分かりにくいですね。)