ドイツ訪問記 第三話(環境問題)



 7月に行われた「サミット」では、環境問題への取り組みが積極的なヨーロッパと消極的なアメリカとの対比(対立)が鮮やかだった。私は、行く前から、ヨーロッパ人がどのような実践をしているのかには非常に興味を持っていた。が、結論から言うと、感心するものはほとんど無かったと言ってよい。少なくとも庶民レベルでの環境意識は日本人以上ではない、と見えた。

 確かに、国内至る所で風力発電機が回っている。屋根に太陽光発電機や温水パネルを設置している家も、日本よりは多いと言えるだろう。しかし、風力発電機にしても太陽光発電機にしても、それらを作るためには相当な量の石油を消費しているのであって、それらがどれほどクリーンか、いつになったら建設のための石油消費と生み出された電気エネルギーの収支が釣り合い、プラスに転じるかについて、私はやや疑わしく思っている。多分にパフォーマンス的要素が大きいのではないだろうか。参考までに、『データブック オブ ザ ワールド 2007年版』によれば、ドイツの発電手段の内訳は、水力4.1%、火力65.2%、原子力27.5%、地熱3.2%となっていて、風力はデータの中に表れていない。これは2003年のデータらしいので、その後変化はあったかも知れないが、たいした量でないことは間違いないだろう。

 また、それらはどうやってクリーンにエネルギーを生み出すかという環境問題の半面に過ぎない。環境保護のためには、もう一つ、どのようにして消費するエネルギーをセーブするかという重要な半面があるのだが、こちらについてはまったく無頓着な感じがした。アルブレヒト家も、屋根には太陽光発電機も温水パネルも設置しているが、木材チップを燃やす補助ボイラーも含めて、それらは全ていかに光熱費を安く上げるかという経済的観点から設置されているのであって、環境への配慮ではない。グッドルンは主婦であるが、食器は常に日本の3倍もあろうかと思われる巨大な食器洗い機にほとんど任せている。夏は彼らの努力ではなく、気候のおかげで冷房がいらず、冬はマイナス20度に下がる日すらあるが、床のみならず壁にも組み込まれた温水管のおかげで、巨大な家の全体が20度以下に下がることはないらしい。車の使用を減らそうという気もなく、むしろ鉄道より安いと言って積極的に使い、信号で止まった時にエンジンを切ることもない(信号の間隔が短すぎるということもある)。おかげで鉄道は常にすいている。鉄道が「環境に優しい」というのは、あくまでも定員いっぱいを乗せて走った時の比較であって、空気を運んでいれば環境負荷は非常に大きいはずだ。私がかねがね安易な使いすぎを問題視しているティッシュペーパーなるものを見かけることはあまりなく、トイレットペーパーの幅が日本の4分の3くらいしかないのは合理的だと思ったが、家でもパソコンの画面は気軽にプリントアウトするし、公衆トイレでも必ずペーパータオルが用意されていて、紙を惜しんでいるようには見えない。ゴミの分別・回収方法は日本とほとんど変わらないが、ペットボトルや缶(一部の種類をのぞく)には0.25ユーロ(約40円)という、けっこう大きなデポジットが組み込まれていて、リサイクル率を高めるためには効果を発揮しているようである。買い物袋は持参が原則。コンビニは皆無、深夜営業の商店もないが、これは環境保護というよりは、彼らの感性、生活哲学の問題だろう。むしろ、サマータイムが実施されているのは、環境との関係で効果がありそうな気がする。

 ドイツが環境問題について強気の発言が出来るのは、著しく経済的に遅れた、従って二酸化炭素排出量の少ない東ドイツを併合したにもかかわらず、西ドイツもしくは他の西側諸国を基準に二酸化炭素の排出量削減目標を設定したために、何もしなくても目標達成が現実的であることによっている、とは、日本でも指摘されていることだ。私は、日本の取り組みの遅れをごまかすための「すりかえ」ではあるまいか、と少々疑っていたりしたのだが、アルブレヒト家を見ながら、「さもありなん」と思うようになった。日本の我が家など、彼らに比べれば、いじらしさを感じるほどにつましいものである。日本人は環境問題への取り組みが甘い、などと彼らに文句を言われる筋合いはないなぁ、と思いかけたところで、発展途上国新興国)の先進国に対する言い分に思い至り、はっとした。都合のいい相手を対象として、比較でものを考えるのは禁物である。と同時に、他がどうかというだけの問題ではないことも、肝に銘じなければならないと思う。

(9月3日に続く)