ドイツ訪問記 第二話(ゴールホーフェンとアルブレヒト家)



 夏のヨーロッパと言えば、私はモスクワ、サンクトペテルブルグといった「ヨーロッパロシア」にしか行ったことがなかったので、気候についてはデータはあっても、実感としては分からなかった。

 朝6時に降り立ったフランクフルト空港は寒かった。まるで日本の秋のとりわけ気持ちのよい朝のように、からりと爽やかで空気がひんやりしているのである。これは日中になっても変わることなく、直射日光の当たるところでは暑さも感じるが、決して苦になるほどではなかった。あまり汗をかかないし、かいてもすぐ乾くので、衣服がべとついたりしない。気候がいかに快適かは、服を着替えたいと思わなかったことによく表れているだろう。雨が降ると、Tシャツ1枚では寒いほどだった。今回訪ねた場所の緯度は北緯50〜53度で、これは北海道より更に北、樺太(サハリン)の北半分に相当するから、いかに暖流の影響を受けるとは言っても不自然なことではない。なるほど近代文明がヨーロッパで発達したわけだ、と思った。逆に、いくら利益のためとはいえ、アフリカやインド、東南アジアの植民地に赴任した彼らは大変だっただろう、とも思った。

 さて、目指すアルブレヒト家は、ゴールホーフェンという町にある。この町はあまりにも小さいので、日本で売られているいかなるドイツ地図にも載っていない。母が以前聞いた話によれば、ヴュルツブルグとローテンブルグの中間だということだった。これらの町は、旧西側を代表する歴史的景観の美しい街として、たいていのガイドブックにも載っているので場所は分かる。「ゴールホーフェン」をインターネットのドイツ地図で検索すると、地名は出てこないが、ヴュルツブルグよりもややローテンブルグに近いところに矢印で示された。

 フランクフルトまでは約150キロ。いくら彼らが空港まで迎えに行くとは言ってくれても、飛行機が早朝6時に着くだけに、わざわざ来てもらうには忍びなかった。

 『トーマスクック・ヨーロッパ鉄道時刻表』を見て、フランクフルトの空港駅から遅くとも8時のICE(ドイツの超特急、Max250キロ/h)には乗れるだろうと目星を付けた。ゴールホーフェンに鉄道は通っておらず、ローテンブルグは幹線に沿っていないので、「9時半にヴュルツブルグ駅に迎えに来て欲しい」とメールを送った。

 予定より30分早いICEに乗ったところ、20分余り遅れたので、結果として予定より10分だけ早くヴュルツブルグ駅に着いた。間もなく、奥さんであるグッドルン・アルブレヒトが二人の子供を連れてやって来た。10年ぶり、子供達は初めてながら、絶えず写真のやりとりがあったこともあってお互いにすぐ分かった。抱き合って大騒ぎする二人を見ながら、まあ、無理して連れて来た甲斐はあったかな、と思わずほろりとした。なにしろ母の学歴は中卒で、しかも彼女が在学した時代の中学校には「英語」という科目もなかったそうだから、言葉は本当にまるでダメなのである(単語を多少覚えた程度)。にもかかわらず、こうして民族を越えてまで人間関係は生まれ、続く。人柄とか縁というものは本当に不思議なものだと思う。

 出発前に感じていたアルブレヒト家滞在についての憂鬱は杞憂だった。さすが、我が両親が強い好感を抱き、10年にもわたって付き合いを続けてきただけのことはあった。夫婦共にとことん明るく、さっぱりしていて、何一つ面倒なこともなく、家の中の隅々から近隣の街まで案内してもらうのは勿論のこと、夫・バーンドの給料明細まで見せてもらいながらいろいろな話にふけった。まさに「スープの冷めない距離」に住んでいる彼らの母親達も、たびたび手料理を持っては来て歓迎してくれた。年老いた彼女達も英語は出来ないが、純粋な、本当に美しい笑顔を持つ人々で、言葉は通じなくても外国人だということを感じなかった。ゴールホーフェンの教会では、おそらく日本人として初めてだろうという記帳をした。子供達も人なつこかった。

 前回書いた予定などあって無きが如し(何の拘束力も持たない)だったので、今回の時間の全てをアルブレヒト家で過ごすことも可能だったのだが、「会う」から「共に過ごす」になれば次元の違う話だし、お互い最もいいところで名残惜しく別れるのがいいだろうと、着いた日の夜に母と相談して、アルブレヒト家には3泊と決めた。

【アルブレヒトの家族と家】

 ゴールホーフェンは人口600人(と言っていたけど、本当にこんなにいるのかな?)、病院も学校も、そして一軒の商店さえもない小さな田舎の集落だった。集落のまわりには麦や牧草の畑がうねうねと続いている。北海道の富良野や帯広あたりの風景に似ている。

 夫・バーンドは41歳で冷却技術者(冷房・冷却設備の販売とメインテナンス)、40キロほど離れた町まで車で通勤している。家を出るのは7時で帰宅も7時。妻・グッドルンは主婦。年齢は聞かなかったが、夫よりやや若いだろう。洋裁の内職は多少することもあるらしい。長女・マルガリーテは9歳。今は夏休みだが、日ごろは7時に家を出て、スクールバスで10分ほど離れた町の小学校に行き、2時前に帰宅するという生活らしい。妹のバビッテは6歳で、7月までゴールホーフェン内にある幼稚園に通っていた。9月の新学期から姉と同じ小学校に入るそうだ。他にレリーという体調1m半はあろうかという巨大な犬と、庭の雑草を食べさせるための(?)2匹の大型モルモットを飼っている。

 1998年の結婚に先立ち、1996年、彼らはバーンドの実家の裏手に新居を建てた。建築当時の写真を見せてもらうに、相当部分は自分達自身の手で作業をしたようである。地上3階、地下1階、延べ床面積は120坪くらいあるのではなかろうか。1階には居間、食堂、食品収納庫付きの大きなキッチン、独立した洗濯室、妻の家事室、トイレがある。2階には大きなクローゼット付きの夫婦の寝室、子供部屋、12畳以上ある浴室(脱衣所が独立しておらず、バスタブの他にシャワーブースと大きな洗面台がある)、トイレ、そして20畳ではきかない子供の遊び部屋があって、遊具が本当にたくさん、何でも揃っている。3階は、屋根裏部屋的な形で、2階からの吹き抜け部分もあるため、床面積は1、2階に比べると小さいが、それでも20畳以上はあろうかというもう一つの子供部屋になっている。地下にはバーンドの書斎の他、1000リットル(!)の電気ボイラー室、シャワーブース付きの作業部屋、屋根の太陽光発電器と温水パネルの管理スペース、食品冷蔵室、そして4畳半くらいのサウナがある。

 外には100坪くらいの前庭と、その倍は優にある裏庭、半地下の物置兼犬小屋とがあって、更に別棟としてガレージと大工道具・レジャー用品の倉庫、そしてバーンドの実家と共用の巨大な冬用ボイラー設備(燃料は木材チップ)がある。前庭には葡萄棚に覆われた食事用のテーブルや、ほとんどがバーンド手作りの子供達の遊具があるが、特に目を引くのは子供達の隠れ家(?)となる、高床式(地上2.5m)、3〜4畳くらいの小屋だ。裏庭には池があって子供達が泳いだりボート遊びをしたり出来るようになっている。庭の周囲にはすべて実のなる木が植えられていて、木イチゴ、スグリ、プルーン、リンゴなどがなっている。花もたくさん咲いている。水が豊かで、近くには馬や牛を飼っている農家も多いのに、なぜか蝿は全く、蚊もほとんどいない。車は1台(シトロエンのジャンピーという8人乗りディーゼル車)。これは妻が日常生活に使う車で、夫が通勤に使っているのは会社の車である。これが、「非常に平凡」と彼らが言う、ドイツの田舎の、私より多少若い夫を中心とする家族の構成と家である。

 私は24年前にもドイツ人の家には泊まったことがある。イスラエルで一緒に働いていたことのある友人を訪ねて泊めてもらったのである。しかし、それは都会のアパートだった。天井が高く、一つ一つの部屋が広く、物がたくさんそろっていて、「豊かさ」を感じはしたものの、カルチャーショックを感じるほどではなかった。しかし、今回は違っていた。

 上を読めば明らかだと思うが、特徴としてはまず第一にスペースが非常に広く大きいということ、第二に、物が非常にたくさんあるということ、そして第三に手作りの物が多いということだろう。

 第一の広くて大きいについては、田舎だからというだけのことかも知れない。彼らも、都会ではこんな作りには出来ない、と言っていた。

 第二の、物の多さはどう考えるべきだろうか。私は、ヨーロッパ人、特にドイツ人は、その繁栄とは裏腹に、日本人とは比較にならないほど質実で、地味な生活をしていると思っていた。軽薄に新しい物を追い求めず、古い物を丹念に修理しながら大切に使う、それがヨーロッパのイメージであり魅力だった。ところが、アルブレヒト家には、無い物は無い、と言ってよいほどに物が溢れ、電気機器についても多くは最新、もしくはそれに近い物がそろっていた。

 にもかかわらず、それが軽薄に見えなかったのは、スペースに余裕があるので、あまりごちゃごちゃとしていないということと、単に買った物ばかりではなくて、夫妻の手作りの物も多いということ、テレビをつけっ放しにしていたり、絶えず携帯電話を気にしているというような依存的な状況、すなわち彼らが物に振り回されているという感じがまったくせず、主体的に節度を持って利用していることによっていると思われる。

 第三の点は、彼らがどれだけ時間を確保できるかということと関係する。バーンドは勤勉である。いかにもまじめに仕事をしているという印象を受けた。しかし、夜遅く帰って来るということはなく、土日は絶対に休みで、年に30日ある有給休暇は、基本的にすべて消化する。仕事と余暇とのメリハリが非常にはっきりしているのだ。そして、仕事以外の時間は、すべて家の維持管理を含めた家族のために使っているらしい。月に5日の休みはなかなか取りにくく、年に20日の有給休暇の消化率が50%を超えることはほぼあり得ない、取れたとしても自分か家族の病気が理由という私には、何よりもそれが羨ましいことだった。彼らの豊かさというのは、物質的な豊かさというものと、時間的な余裕というものが渾然一体となって生まれてくるものに見えた。

(蛇足:暉峻淑子『豊かさとは何か』(岩波新書)は、ドイツを例に「豊かさ」の中身を問い直している。私は、それを踏まえて書いているわけではないが、良書なので一読を勧める)

(8月26日に続く)