ドイツ訪問記 第五話(経済の話)



 話をアルブレヒト家に戻す。

 着いた日は、そのままビュルツブルグ市街を案内してもらい、翌日はローテンブルグに、翌々日はバードウィンドスハイムという町に連れて行ってもらった。この間、ゴールホーフェン内を散歩したり、隣町・ウッフェンハイムに買い物に行ったりした。私は博物館的な場所にはあまり興味がない。風景や店(特にスーパーマーケット)を見ている方が面白い。店と言えば、圧巻はローテンブルグの「ケーテヴォールファールト」というクリスマス用品専門店であった。外見はさもない商店だが、中に入ると正におとぎの国で、おびただしいクリスマス用品がまるで博物館のように並んでいた。物の溢れる日本から行って、まさか一軒の、さほど興味もない物を扱う店で目を白黒させるとは思ってもみなかった。この間、案内はすべてグッドルン。

 私達が泊めてもらったのは火曜日〜金曜日という平日だったので、バーンドは毎日仕事であった。7時に帰ってきて、家族で食事をし、犬の散歩に行って(ドイツはサマータイムが導入されているので、この頃ようやく暗くなる)、子供を寝かせるのが9時半頃。そしてここからが、私達と落ち着いた会話の出来る時間となる。内容によっては辞書(独和・和独)を引く煩わしさはあったが、バーンドは熱心に付き合ってくれた。印象に残ったのは、彼らの家の構造についての詳細な説明の他、以下のような話である。

【経済の話】

 バーンドと家庭の経済状態の話をしていた時、彼は一枚の紙を持ってきて見せてくれた。給料の明細表だった。支給総額に対して手取りが4分の3弱というのは、私と大差はない。これだけ見ると、税金も高い代わりに社会保障も手厚い、というのはヨーロッパに対する私の先入観のようにも思うが、何しろ消費税が19%(!)だから、給料の明細に表れた税だけで考えてはいけない。税的な支出は大きい。失業対策費(日本で言う雇用保険)がけっこう高いのは、ドイツの失業率の高さ(日本の2倍くらい)を反映していて、支払っている側の一般労働者には甚だ不評らしい。それでも、少し前までは、下手な仕事に就くよりは失業した方がいいと言われるほど、失業補償が充実していたが、そうすれば失業率が上がり、まじめに仕事をしている方がばかばかしくなるのは当然なので、今では人を職に就かせるという意味での失業対策とそれによる改善も進んできたらしい。教会を維持していく費用が、給料から引かれているのには驚いた。自分の所属する教会への献金ではなく、「教会税」の形で集められ、政府がそれを各教会に分配しているという。信仰の有無、宗派の問題等で、内面の自由の問題はないのかと思ったが、これはあまり不満に思っていないようだ。

 まあ、そんな細々したことよりは、私にとってショックだったのは、彼が「ドイツでは非常に平凡」と言う彼の給料が、私の1.5倍もあったことだ。思えば24年前、ドイツ人の友人をアーヘンに訪ねた時に、大学生がアルバイトで月に800ドル貯められるという話を聞いて驚愕したことがあった。当時、日本では、自宅暮らしでバイトに専念しても500ドルはなかなか厳しかったと思う(あくまでも1$≒230円)。かつて私があちらこちらと旅行していた頃、それを生業にしているかのような日本人によく会ったが、彼らの多くはニューヨークを拠点にしていて、金がなくなるとニューヨークで働き、金が貯まると旅に出るという生活をしていた。ニューヨークが世界で一番バイトで金が貯まる、と彼らは言っていた。日本料理店のウェイターでも、月に800〜1000ドル貯まるという話を聞いて、私も真似をしようかと思ったほどだ。ドイツはほとんどそれに匹敵した。その時の驚きがよみがえってきた。

 彼は、高校の先生はもっともっと高い、と言う。となると、ドイツの高校の先生は私の2倍の収入があっても不思議ではない。しかも、学校の先生は土日と有給休暇以外に、生徒と同じく年に60日の休暇があるという。もちろん、放課後の部活もない(この「部活」というものが、日本の学校に関することで最も外国人に理解してもらいにくいことだ、というのは知っておいてもいいと思う)。時間単価で考えると、その差は見当もつかない。

 私は、給料相当の仕事をしているという自信がないし、食うのに困ってもいないので、自分の収入についての不満など全くないのだが、単純な算数の問題として、なぜドイツ人との間にこんな格差があるのか理解できないのである。

 考える材料として、『ザ・データブック・オブ・ザ・ワールド2007年版』から、適当な項目を抜き出してみよう。

 ドイツは日本とほぼ同じ面積の国土(日本を100とした時、ドイツは94.4。以下、数値は同様)に、日本の3分の2しか人が住んでおらず(64.6)、しかも、日本に比べて都市人口率が高い(134.7)ので、土地がゆったりと使える。田舎では、農民1人あたりの耕地面積は日本の8倍以上(863.6)と、大規模な集約的農業経営が可能である。ドイツの風景がごちゃごちゃしておらず、広々と美しい理由は、データからも分かる(なお、「都市人口率」とは「都市人口密度」ではない。私の見る限り、大都市でも日本に比べると非常にゆとりがある)。

 石油、石炭、天然ガスというエネルギー資源が、日本とは桁違いにたくさんある(石油1272.4、石炭=日本が0なので比較不能天然ガス625.2)ため、現在の日本のような石油高騰によるダメージを受けにくい(かといって、ドイツでエネルギーの値段が安いということは決してない。例えば、なぜかガソリンは約250円/リットルもしていて、日本より相当高い)。一方、経済力を示す一般的な指標である「一人あたり国民所得」を見てみると、ドイツは2割近くも低い(82.8)。つまり、経済的に強くなる条件は揃っているのに、結果が出ているようには見えない状態である。

 一方、消費については、限られたデータではあるが、互角と言える(自動車保有率127.8、エネルギー消費106.2、紙類消費94.6、鉄鋼消費72.2)。いや、アルブレヒト家を見ていると、消費は旺盛で、むしろ互角どころではない。

 やはり、「世界を代表する金持ち国家・日本」(とは、そろそろ言われなくなったかな?)から来た私が、その経済的な豊かさにカルチャーショックを受けるというのは、計算に合わない。私が昔から「数学」が苦手だったから理解できないだけなのだろうか?

(9月16日に続く)