自分の判断と自分勝手



 壱高祭が終わって一週間が経った。教員内で、今年の壱高祭はああだったこうだった、ということがよく話題になった。私は、他の先生達が生徒諸君の動きを本当によく見ているものだ、と感心することが多い。生徒指導部の先生ならともかく、それ以外の先生などは、ほとんど壱高祭期間中はたまった仕事の処理期間と心得ているのかと思ったりしていたが、決してそんなことはない。私が生徒の立場だったら、こういう目のよく見えている人達は恐い、と思うだろう。それほど、地道な仕事をコツコツとこなしている人、言葉だけでなく行動が信用できる人を見抜いては評価し、上辺だけの仕事をしている人、人に指示するだけの人には手厳しい。

 ところで、そんな彼らが共通して「今年の生徒は・・・」と一括りに語ることがあって、なるほど、と思った。それは、実行委員について、「自分の判断で動ける生徒が少なかった」である。生徒に助言(おせっかい、と言うのかも知れない)もしくは指示をしても、どうしたらいいか(先生のいうことを聞いた方がいいかどうか)誰かに聞きに行くという姿がよく見られた、ということだ。

 私には、そのように生徒を批判するのは、あまり軽々しくはできない。というのも、教員の世界でも同様、組織において「自分の判断で動く」は一歩間違うと「勝手な行動」になってしまうからだ。かといって、もちろん、人の指示がなければ何も出来ないのは困る。その境界を見極めるのが難しいのは、大人も高校生も同じことだ。しかし、何人もの先生がそのような指摘をするということは、そのバランスが崩れていたのではないか、ということなんだろうね。ちょっと問題意識を持っていてみよう。