仕方がないリスク



 諸君も知っていることと思うが、先週の木曜日、県内某公立高校の女子生徒2名が、卒業アルバム用クラス写真撮影のため校外に出ていて、交通事故で亡くなった。何とも痛ましい話である。本人達はもとより、娘を失った家族の哀しみというものは、察するに余りある。

 しかしながら、校長、教頭がひたすら「申し訳ない」と頭を下げ、土曜日の夜に急遽開かれた臨時のPTA総会では、横断歩道の両脇に担任がついていなかった等、学校の対策の甘さに不満や批判が相次いだ、といった報道を見ては、何とも釈然としない気持ちになる。学校を悪者にすれば、それで原因が分かったことになり、なんとなくスッキリした気分になる人がいることは想像できる。しかし私には、それによって更にマイナスが大きくなることはあっても、いいことなんか何もないと思われる。マイナスとは次の二点だ。

 ひとつは、このことによって学校が出来るだけ生徒に何もさせない方向に動き、教員が生徒を囲い込むことになるのではないか、ということだ。もちろん、教員が全ての場所で生徒を監視していることが不可能な強歩大会や、各班毎に引率教員もつかずに研修先に向う校外研修など狂気の沙汰だ、ということになる。極論ではあるが、安全のためには余計なことはせず、座学に専念するのがよい。

 ふたつめは、ひとつめの帰結と言ってもよいものだ。つまり、学校が生徒を囲い込み、その行動に責任を持ちすぎると、生徒は安全を学校まかせにし、自分で自分を守るという基本的な意識が低下し、その能力を身に付けられない、ということだ。

 今回の事故の現場は、実は私の強歩大会トレーニングコースの途中である。車は飛ばしているが、見通しのよい直線道路だ。いくら昨年も同じ場所で事故が起こっているとはいえ、注意していて危険を避けられない場所では絶対にない。となれば、悪いのは、前方不注意の運転手と、高3にもなって道路横断の時の安全確認を十分にしなかった当の生徒である。いくら気の毒でも、そのことから目をそらしてはいけない。

 各自が自分の意志で自由に動いていれば、事故は絶対にゼロには出来ないだろう。自由のためにも、人間が一つの能力を獲得するためにも、事故のリスクが避けられないとなれば、私はそのリスクを仕方がない、と思う。対策ということが声高に叫ばれるご時世だが、「仕方がない」ということもまた大切な価値だと思う。