理想(本質)は長く、現実は短い



 先週ここに書いた勉強に関する考察について、2回目のアンケートを整理しながら、私なりにどのようなスタンスを取るべきか、あれこれと思いを巡らせていた。極端に言えば、諸君に全てを任せるか、徹底的にこちらで強制(指導)するか、の間で揺れ動くわけだが、全ての作業を終えたところで、どうやら、私の考えは「勉強の基本は自学であることを確認し、何をすべきかはきちんと言うが、それ以上の親切すぎる指導はすべきでない」という方向に、相当寄ったところで止まりそうな状況になってきた。

 ここで詳細に触れる余裕はないが、アンケートに表れた甘ったれた諸君の姿に対する反動として、私がそのように考えるようになったというわけではない。むしろその逆で、現実への妥協の必要性を測りながらデータに目を通していた私が、諸君の側にも、受験の手段としてだけではない本来の勉強のあり方に対する要求を持ち、或いは、少なくともそれを許容するだけの心構えがあることを感じ取ることが出来たからだ。私としても、これは少し意外なことだった。

 あの時話した通り、そのことは受験対策と何ら矛盾するものではない。受験参考書や問題集を目の前に広げていないと安心できないという安っぽい心理を否定するだけだ。私達が手取り足取り「指導」している時だけ勉強できて、受験が終わればバイバイではなく、生涯にわたって学び続け、それを生かしていけるようになって欲しいし、そのためにこだわるべきは、やはり「学問の本質」だ。私はそのことを、「芸術は長く、人生は短い」という有名な格言をもじって、上のように言うのである。