珍客来たる(2)・・・鯨が捕れた!



 土曜日は牡鹿半島へ行った。あいにくの悪天候で、金華山へ渡る気にもならず、五番所山公園も雲の中とあって、いささか期待はずれではあったのだが、鮎川港のとある土産物屋で、面々が鯨工芸品見物をしていた時、私が一人、港を見ていたところ、外洋からキャッチャーボートが入って来るのが見えた。ホエールランドに置いてあるような昔のキャッチャーボートに比べれば、おもちゃのように小さなものであるが、それでも形はいかにもキャッチャーボートで、舳先には鯨砲も付いているので、すぐにそれと分かった。もっとも、私は、母船ならともかく、キャッチャーボートは鯨を仕留めた後、鯨を引くしかないものだと思っていたので、船尾の辺りに何も曳航していないのを見て、そのキャッチャーボートが鯨を仕留めたとは思わなかったのである。しかし、港にいた誰か地元の人が、「捕れた捕れた」と言っているので、よく見ると、船の上、船尾の方にそれらしき黒い物体があった。鯨を捕って帰港してきたのだ。鯨の実物を見たことのなかった私は興奮して、一行を呼びに走った。みんな大喜びでキャッチャーボートの方に駆け出したことは言うまでもない。

 間もなく、着岸したキャッチャーボートからクレーンで5mほどの鯨が吊り上げられ、待機していたトラックに積み込まれた。私達がいたところから、その場所までは少し距離があったので、大急ぎで駆けつけはしたものの、間近にじっくり鯨を眺めることは出来なかった。鯨を載せたトラックは、その後、重さを量るための機械の上に載った後、すぐに去って行ってしまった。トラックが重量を量っているわずかな時間、大騒ぎする子供を持ち上げて荷台をのぞき込ませたり、近くにあった物に私自身が上って見たりはしたが、なかなか納得のいく観察が出来たとは言い難い。とは言え、鯨は私に不思議な印象を残した。魚を見てもそんなことを思ったことはなかったのだが、鯨を前にして、私は、その大きな物体が、わずか何十分か前まで、海の中を悠然と泳いでいたということ、それが今は死んで一つの物体になってしまっているということが妙に生々しく感じられ、実に無残な感じがしたのである。なぜ鯨に限って、こんなにも「死」に対するリアルな感覚を感じるのだろう。それは私としても意外なことであった(もっとも、このことによって私が捕鯨禁止論者になった、というものではない)。

 それはともかく、関係者はどうも冷たかった。私のような大人ならまだしも、子ども達が鯨を見たい見たいと騒いでいる時に、少しくらい見せてくれてもよさそうなものである。解体作業を見せてもらえないか訪ねてみたが、けんもほろろだった。いかにもこそこそと、出来るだけ早く鯨を人目に付かないところに持って行ってしまいたい、という感じであった。私が白人と一緒にいたからだろうか?それにしても、国際的な批判があるとはいえ、もしも現在行われている漁が合法的なものであるなら、何もそんなにこそこそする必要はあるまいに、と思った。

 鯨との遭遇は、天候不良で風景を楽しむことの出来なかった私達に、この上もない興を添えてくれたのだが、少なくとも私にとって、単純に「面白かった」では済まなかった。いろいろと複雑で奇妙な思いはまだ尾を引いている。