民主党代表選挙への平凡極まりない感想



 民主党の代表選挙が終わった。マスコミは菅直人氏の「圧勝」と言っているようだが、あの差を「圧勝」と言ってよいかどうかはいささか怪しい。それでも、事前には菅氏の負けさえあり得ると言われたわけだし、10ポイントや20ポイントの差で決着が付くことから思えば、の「圧勝」なのだろう。

 この件に関する私の意見は、至って平凡。あちらこちらで言われている通り、たった3ヶ月でまた首相が替わるというのは本当に勘弁して欲しい、というのが一つ。彼の消費税発言により、参議院選挙で大敗した責任、というが、自民党が勝っても消費税は上がるに違いないし、このところ、何かにつけて責任責任とうるさすぎる。事には軽重というものがあって、何でも許すというわけにはいかないが、5月20日にも書いた通り、衆議院の任期である4年を一つの単位として、じっと我慢して見守り、政治家を育てようとするくらいの気概が国民に無ければ、政治家、特に首相がミスをしないことと目先の結果ばかりを大切にするようになってしまう。これは日本にとって本当に大きなマイナスだと思う。もちろん、これは首相だけの問題ではない。今後、党の役員人事や内閣改造がどうのこうの、という話が盛んに行われているが、大臣がころころ変わる状況で、政治家主導などあり得ない。

 もう一つ。首相に代わって欲しくないというのは、早い時期から、あらゆる世論調査で一貫して圧倒的多数意見だった。にもかかわらず、民主党の国会議員は両派に二分し、今日の結果でも、ほぼ同数だった。菅氏への支持率は、地方議員、一般党員、サポーターと、立場が下がるに従って高かった。これは、正に、政権交代があっても、「永田町の論理」は国民を離れて存在するということの証明だろう。私は、決して菅氏を支持するわけでも強い期待があるわけでもなく、上で書いたような事情で、単に替わらない方がいい、と思っているだけである。一方、私の目には、小沢という人は、非常に旧弊な野心家にしか見えない。一国民である私には、何でもめているのかすらよく分からなかった。

 日頃よく私が言うことだが、政治家の質は国民の質を不思議なほど反映する。政権交代とは言っても、国民ががらりと変ったのではない以上、過剰な期待は禁物と思ってはいたが、まさに最近のドタバタを見るとその感が強い。民主党に失望するものよいが、私達自身の内側や身近に、今の民主党の問題と同様の問題は間違いなく存在、若しくは潜在しているということを肝に銘じて、よくよく反省してみる必要がある。民主党にグチをこぼすだけでは、決して政治は、すなわち日本はよくならないだろう。