ペットボトルがたまっている



 土曜日の夜ではあるが、勤務する高校のPTA支部懇談会というのに出席した。出席者の全員に、ペットボトル入りの飲み物が配られた。

 このような場合、私は大抵飲まずに持って帰る。そうして、我が家には未開封のペットボトル入り飲料がたまっている。なぜこんなことになるかと言えば、もったいないのである。飲み物がではなく、ペットボトルがである。私の意識の中でも、生活におけるやむを得ない必要性と、地球環境へのダメージとのバランスを考えて、許し難いな、と思われるものは沢山あるが、ペットボトルはその中でも相当上位に位置する。

 多くの人は、「分別してリサイクルに出すからいいじゃん」と考えているようだが、これが落とし穴。昨年だったか、何かの機会に、分別回収したペットボトルは単に中国に運ばれて終わり、その後、実は再生も再利用もされていないということが明らかになって、多少は社会問題化したはずである(多くの人々にとって不都合、もしくはどうでもいいことなので、大々的な問題には発展しなかったのであろう、と私は思っている)。一度固まったセメントに水をかけても再利用できないのと同様、ペットボトルが石油に戻ることなどあろうはずもなく、再利用しようと思えば、更に多くのエネルギーを消費することになる(ペットボトルを洗って、ペットボトルとして再利用できるなら問題は小さいが、なぜか出来ない=消費者が受け入れない、らしい)。

 というわけで、私は過去に買ったペットボトルを水筒代わりにして、出来るだけ、劣化して水漏れを起こすまでは使い続けようとしているのである。だから、今や、自分でペットボトル入り飲料を買うことはまれで(状況によってやむを得ない場合もある)、こうして人からもらったものも、事故や災害で断水でもした時には、仕方がないから利用させてもらうか・・・と、開封せずに取ってあるのである。

 上海行き4000円の航空券が話題になった。新聞を見れば、もともと、学生の貧乏旅行を細々と支えていたような格安航空券会社が、新聞見開きの大広告で、これでもかこれでもかと、2万円とか3万円とかで宿泊付の韓国、中国ツアーを売っている。ANAがLCCを立ち上げることを宣言し、成田でも関空でも、LCC誘致のための着陸量値下げ云々、という話を始めている。どこにも、それは環境の悪化、エネルギー問題を加速させるから止めさせるべきだ、という話はない。

 現在の社会に環境問題がある、今年の夏の異常な暑さは、人間の経済活動に大きな原因がある、といった指摘や警鐘は、一体何のためなのだろうか? 人間は、目先の利益のために暴走を続け、最後はクラッシュするしかないのだろう。人類が絶滅せずに済むとすれば、それは地球が更に目茶苦茶になる前に、石油がなくなるしかないのであって、人間自身の力によるのではないとすれば、それは哀しい。