黄華または中国革命



 訃報について書くのは本当に久しぶりだ。今月亡くなったグレツキなど、少し触れてみようかという気も起こったが、ついそのままになってしまった。

 さて、今日の『河北新報』(国際・総合)で黄華の訃報を見つけた。97歳。かつて中国の要人であったことは知っていたが、記事に目を通して、えっ?そうだっけか?と思った。そこには、「「中国の赤い星」を著した米ジャーナリスト、エドガー・スノーらの取材に同行、毛沢東らとの会見の通訳を務めた。」とあったからである。

 私は、最近の中国の動向に不愉快を感じること人後に落ちないつもりだが、それとは別に、中国共産党が誕生してから国家を樹立するまでのいわゆる「中国革命」が、20世紀、いや、人間の歴史を代表する壮大な夢とロマンの物語であると評価し、そこで活躍した人々を敬愛すること並々ならぬものがある。そんな私にとって、西洋人として最も早く共産党支配地域を取材し、共産党を内側から描いたエドガー・スノーの記録は、正に血湧き肉躍る歴史物語であった。

 もちろん、『中国の赤い星』は何度も繰り返し読んだが、その中に登場する毛沢東との一問一答や、毛沢東の人生の聞き書きに、通訳がいたとは知らなかった。そこで、あわてて『中国の赤い星』を書架から引っ張り出し、パラパラと読んでみたが、やはり通訳の存在は感じられない。続いて、『アジアの戦争(日中戦争の記録)』に目を通す。すると、1939年秋の第二回取材旅行の方に、自ら進んで付いて来た人物として黄華が登場する。はは〜ん、なるほど。確かに『河北新報』の記事で、『中国の赤い星』はエドガー・スノーの説明に用いられているだけで、黄華の同行がそれを書くことになった第一回取材旅行であるとは書いていない。

 また、『中国の赤い星』に収められた、スノー筆の人名録では、スノーは黄を呼び寄せた、と書いている。黄華の出生地だって、『河北新報』は河北省で、スノーは江蘇省だ。これだから歴史研究は難しい・・・。

 1939年当時、黄華は27歳。ということは、はるか昔のこととなり、もはや生存者などいなくなったと思っていた中国革命も、現場を知っている人がまだ幾人かは生き残っていることになる。中国革命当時の共産党は素晴らしかった。当時の精神を知る人が、今の中国についてどう思うのか。そんな声を聞きたいと思う。