人付き合いは難しい



 本当に陽射しが明るい。この数日の温かさで、我が家の庭に、水仙の芽がたくさん顔を出してきた。これを見ると、いよいよ春だなぁと、しみじみ思う。開花は3月中旬、満開は下旬といったところだろうか。楽しみである。

 さて、先週金曜日の夜は、高体連登山専門部のO先生、W先生の定年退職祝賀会というものに出席した。どちらも、山岳部指導の重鎮、特にO先生は、その実質的な責任者である委員長職を7年も務められたということで、80名もの出席者を集めた盛大な会になった。高体連関係の会とは言っても、もちろん公務ではない。にもかかわらず、おそらく80名の中に義理で参加した人はいなかっただろう。二人の業績のみならず、人柄によるところ非常に大きいと思う。いくら仕事でも、世の中は人と人との人間的、主情的なつながりなくしては成り立たないし、そのような人間関係が成立するためには、技術や能力といったものだけではない、人柄こそが大切なのだと思う。

 ところで、盛大なる祝宴の後、こんなことがあった。

 二人を敬愛すること並々でなく、旧知の人々と会う機会を得たことも嬉しかった私は、仙台に泊まりの覚悟で出席していたので、2次会というものにも出た。2次会で隣に座ったのは、前々任校で僅か1年ながらも同僚であり、これまた私が敬愛するA先生であった(この人物については2005年10月17日の記事参照)。無欲恬淡、寒山拾得さながら、飄々ほのぼのとしていて、一見、脳天気な好々爺(?)でいながら、時が経つほどその偉大さに気が付いてくるという、まさに「大人」(たいじん)というべき人物である。

 2次会の席で一緒になったのが9:45。A先生は県北に住んでいるが、10時過ぎの新幹線で帰ると言う。やがてS先生が会費を集め始めた。A先生は、会費「ん千円」也を払いつつ、「どうせすぐ帰るのに・・・」と気の毒にすら思い、「先生、いいんじゃないの?」と言う私に向って、にこにこと、「これを払うことに意味があるのだ、ヒッヒッヒッ・・・」とのたまふ。そして、乾杯のビールを一杯飲み干すと間もなく、「んでね・・」と言って、さらりと席を立ったのであった。

 私には非常に悩ましい行動であった。私なら、金の問題を抜きにしても、たった15分ほどのために、わざわざ会場に足を運んだりはしないだろう。そして、15分のための「ん千円」も、おそらくは無駄な出費である。A先生の「これを払うことに意味があるのだ、ヒッヒッヒッ・・・」は、いったいどういう意味なのであろうか?2次会の席で、会費を払うという行動そのものに、本当にそんなに重大な「意味」があるのだろうか?

 この歳になっても、私は人と付き合うことが上手くなったとはあまり思えない。一見「虚礼」とも言うべきことも含めて、人付き合いに伴う様々な行為を、はなから無駄と考えているわけではない。しかし、中元・歳暮のみならず、贈り物というのがそもそも苦手な上、相手に対する感情を表に出すタイプでもない。そんな性格が、いろいろと誤解を招いたり、トラブルを生んだこともあったように思う。

 A先生は、私が敬愛している方だけに、その言動が気になる。他の人ならどうするのか知らない。その重大な「意味」が理解できずにいる私は、やはり人付き合いにおいて未熟なのであろう。この日、あまり体調がよろしくなかった上、翌日にも予定の控えていた私は、3次会には出席することなく、日付が変わった直後に宿に戻ったのであった。