今年の正月、『河北新報』の「スキー場だより(積雪量情報)」を何気なく見ていて、「面白山」という文字がないことに気が付いた。山形県の面白山スキー場のことである。ついにつぶれたのか、と寂しい気分になった。その後調べてみると、実は今年の話ではなく、昨シーズンから閉鎖していたらしい。例年面白山で行っていた一高山岳部のスキー練習会を、昨年だけは山形蔵王で行ったために、面白山の閉鎖に気付いていなかったというわけだ。「面白山高原情報」というHPに掲げられた、昨年11月12日付の『山形新聞』によると、1995年に約7万人いた利用者が、2006年には1万人にまで落ち込んでいたという。一昨年の1月4日に、山岳部の生徒諸君と行った時も、御用始めとは言え、あまりにも閑散としていて驚いたものである。
私が中学校時代、面白山は電車の駅から歩いて行けるスキー場として非常に賑わっていた。週末には、仙台から「面白山スキー号」という臨時列車が2本も運行され、当時は、駅からスキー場に上るリフトがまだなかったために、列車を降りた人々が、長い列を作ってスキー場までぞろぞろと歩いていた。
私も、同級生と共に、せっせとこのスキー場に通った。なにしろ、電車一本で行ける上、ロープトウ(下注参照)というものがたくさんあって安く斜面を上れるので、子供にも利用しやすかったのである。
また、「面白山スキー号」は、急行電車「まつしま」の車両を使っていたが、これにはグリーン車が連結されていた。座席頭部に白いカバーが掛けられておらず、グリーン料金など取られないのであるが、仙台駅で待っていると、入線してきた時に、その車両の所で待っていた人は、グリーン車と見るとぞろぞろと移動してしまう。事情を知っている私たちは、ちゃっかりとグリーン車に席を占め、悠々とスキー場に向かった。グリーン車でスキー場に乗り付ける中学生とは、なんと生意気だったことか。面白山と言えば、まず思い出すのは、このグリーン車だ。
時代の流れというのであろう。この30年間にスキー場が増えた上に、娯楽も多様化し、スキーは、金のかかる贅沢なレジャーとして敬遠されるようになった。しかし何よりも、人々が車に依存しすぎていて、重いスキーを担ぎ、列車で行かなければならないということに耐えられなくなってしまったことが大きいと思う。面白山スキー場は、これらの結果として必然的に閉鎖に追いこまれたのである。
たかが一つのスキー場の閉鎖である。しかし、その盛衰には間違いなく社会が映し出されている。あのような庶民的なスキー場が閉鎖されたことを惜しむのが、果たしてノスタルジーなのかどうか・・・。
(注)「ロープトウ」というのも、既にほとんど見ることが出来なくなった過去の遺物である。斜面に沿って、長い(200mくらい=回しているので実質100m)のロープを、エンジンで回しており、スキーヤーはスキーを履いたまま、それにしがみついて斜面を上るというものである。人間の握力に頼っているため、急斜面には設置できない上、動いているロープに上手くしがみつくには、若干の技が必要である。1975年頃の面白山スキー場では、8回券が150円くらいだったように記憶する。この時、リフトは1回で150円くらいしていた。私が生徒を連れて行くようになった21世紀の面白山に、ロープトウは既に無かった。