原点は人と人(4)・・・「便乗ボランティア」としての一日



 今日は、一日中「便乗ボランティア」(自分では何もしていないのに、ボランティアの後を付いて歩いて謝辞だけは受けるという寄生虫のような役回り)として、牡鹿半島を回っていた。宿主はもちろん「愛知ボランティアセンター(ボラセン)」。今日の予定は、三班に分かれて牡鹿半島の浜々へ支援物資の配達である。私は湊小学校で合流し、代表者・久田氏他5名とともにA班として半島の付け根に近いいくつかの集落を訪ねた。実は、地元民である私も、牡鹿半島に足を踏み入れるのは震災後初めてだった。どこの浜も予想通りの壊滅状況とはいえ、震災から2ヶ月以上経つとあって、それなりに落ち着きを取り戻し、トイレ、風呂を中心に様々な工夫を凝らし、案外うまくやっているなぁ、と感心すること多かった。

蛤浜、峰耕寺(折浜)と回り、1時頃に小竹浜というところの避難所で物資を下ろすと、おばさん達が、ジュースと飴、更には自分たちが作った「味噌おにぎり」をくれた。支援物資を届けに行って差し入れをもらうのも妙なものだ、と言いつつ、一同大喜びでご馳走になった。

 この後、萩浜小学校(桃浦)、月浦と避難所巡りをしたところで、他の班の状況を聞こうと電話をしてみると、半島の中心都市・鮎川へ行ったC班は、最初の避難所で接待を受けて沈没、和気あいあいと漬け物パーティーの真っ最中とのことであった。A班一同開いた口がふさがらない。A班の物資が尽きたことでもあるので、かくなる上は、大量に余っているはずのC班の物資をA班が受け取って回ろう、などと言い、鮎川へと車を走らせた。

 相変わらず沈没中のC班が居たのは、牡鹿斎場の避難所で、こともあろうに、僅か十数名しか避難者がいない。私達が着くと、C班同様に、「まぁ、お茶でも飲んでいがい・・・」とご接待が始まった。既に山菜の天ぷらはないが、86歳のおばあちゃんが漬けたという美味この上ない大根やキュウリの漬け物、りんごが続々と出て来る。避難者の方々も明るく笑顔が素敵で、いろいろな話を聞かせてくれる。これは居心地いいわけだ。C班を責めてはいられない。

 避難者の方々と話をしながらくつろいでいるうちに、既に時間も4時になったので、もう今日は撤収ということになった。すっかり仲良くなったボランティアと避難者で記念撮影まですると、今度は、たくさん届いて余っている支援物資だからと言って、お菓子やおにぎりを大量にくれる。中には、名古屋の有名な「えびせん」などあって、名古屋から来たボランティア一同は大笑いした。

小竹浜と鮎川だけではない。他の浜でも、地元の方々とは話がはずみ、ついつい長居をしてしまうことは多かった。このようなほのぼのとしたコミュニケーションはいいものである。おそらく、避難者の方々も、何の下心もない遠来の客の来訪が嬉しくて仕方がないのだろう。そんな気持ちが手に取るように分かった。

 支援をしてくれるのは嬉しいが、過保護はいけない、ということで、日頃ボランティアのあり方については、いろいろと私自身が悩ましく思うこともあり、新聞・テレビの報道でもいろいろ話題になっているのであるが、ボランティアと避難者とのこんな関係は文句なしにいい。おそらく、避難者の方にしてみれば、贈られた物資以上に、この関係と時間は心晴れ晴れといい気分になることの出来る喜ばしいものだったに違いないし、ボランティアにとっても、それは同様である。至る所で、こうして「人間っていいなあ」という思いの輪が広がるなら、単なる慰めを超えて、震災も積極的な価値を生む、と言うべきだろう。