門脇小学校の鯉と兎



 昨日の朝、家族で朝食を摂っていたところ、妻が「あっ、バス」と言うので、外を見ると見慣れた「名古屋バス」が走って来て、眼下のコンビニ跡に停まろうとしているところだった。愛知ボランティアセンターご一行様であるに違いない。リーダー格で今回も来ているはずのS嬢に電話をかけると、「あっ、今、先生んちのすぐ下にいます」と、いつも通りの明るい声が聞こえてきた。愛知と宮城の人間の会話とは思えない。

 ボラセンは、被災地支援のために毎週末来てくれているが、リーダー格以外のメンバーは毎週替わる。せっかくなので、ボランティアの方々にこの地域で最も被害の大きかった場所を見てもらおうと、主催者は、朝か夕方のどちらかに、この南浜・門脇地区に立ち寄ることにした。彼らは決まってコンビニ跡にバスを停め、全焼した門脇小学校の校庭に立って犠牲者を悼んだ後、周囲を見回し、しばし物思いにふけるのである。昨日は、それが朝だった。

 家族全員で門脇小学校に下りる。2分とかからない。基本的には、遠路はるばる名古屋から被災地支援に来て下さった方々に、現地代表でお礼の一言も述べようかという表敬訪問なのであるが、いざボランティアの方々と会うと、いろいろ質問されることもあり、それに触発される形で説明しておきたいことも出てきて、つい「被災地ガイド」のようになってしまう。それはそれで一向にかまわない。

しかし、門脇小学校の校庭に立った時、私が彼らに話すこととは別に、私の心の中にどうしても消えない憂鬱がある。それは、「鯉と兎」のことだ。

 震災前、門脇小学校の玄関前には小さな池があって、数匹の鯉が泳いでいた。また、プールの北側には兎小屋(檻)があって、20匹以上の兎が飼われていた。おそらくは、生き物を大切にするとか、命の尊さを教えるといった目的で、あえて学校が飼っていたものに違いない。子供が喜ぶので、私も週末にはよく見に連れてきていた。それが、兎小屋は何の形跡もなく消え失せ、池はただの汚い窪地に変わっている。もちろん、鯉も兎も、津波で全滅してしまったことだろう。

 私は、人が今回の津波で死んだのは、ある意味で仕方がないと思う。津波を軽く見たとか、車で逃げることに固執したとか、大抵の場合、何かしら落ち度(判断ミス)があったと思われるからである。その言い方が失礼であれば、こじつけでも何でも、落ち度を探し出すことが可能である、と言ってもよい。しかし、人間に飼われ、池と檻の中に閉じこめられていた小動物には何の落ち度を探すことも出来ない。動物の勘によって、彼らは危険を強く感じていたに違いない。でも、どうすることも出来なかった。本当に不憫だと思う。

 震災直後の門脇小学校には、たくさんの家や車が流されて積み重なり、それに火がついて全焼したため、他のどこよりも凄惨な光景を呈していた。1700世帯が住んでいたというこの地区で、果たして何人が亡くなり、何人が生き延びたのかも、いまだ正確には把握されていない。そのような事実の重さ、深刻さは重々承知しているつもりである。しかし、その場に立った時に、私の心の中にまず浮かんで来て、私の気分を際限なく重くするのは、あの小動物達なのである。